2017
07.09

怪談:17.7.9『姉弟掛け合い怪談-その21』

 
 始まりはあの日だった。
 ううん。正しくは、あの日が終わった真夜中。
 あの日、帰ってきた時、わたしはもぉくたくただった。
 あれは…、そう。その日の疲れと、あと2ヶ月分の疲れがどっと襲ってきたんだと思う。
 
 もうそれなりの時間になっているというのはわかっていた。
 ただ、帰ってきて何気に見た時計が11時をわずかにすぎた時刻を指していたのを見た時は、思わず「えっ」と叫んでしまったのを憶えている。
 だって、E樹とサヨナラしたのは、6時くらいだったはずだから。
 わたし、5時間も一体どこで何をしていたんだろう…
 その途端、頭の中で甦ったのは、5月下旬のよく晴れた日曜の夕方から夜にかけての東京のいろんな場所の風景。
 渋谷、表参道、青山、赤坂…、そこから先はよくわからない。そうそう。皇居のお堀沿いにずっと歩いていたような…。
 ていうか、あっ!わたし、もしかして歩いて帰ってきちゃったとか?
 だって、電車に乗った記憶がない。
 あるのは、知らない街並みの風景の断片だけ。
 それらの記憶が、いきなりこのアパート近くの通りの風景につながっていた。
「……。」

 このアパートの最寄駅から渋谷は電車で20分くらい。
 でも、渋谷から表参道、青山、赤坂、さらに皇居のお堀の記憶もあるということは、この家と違う方向に歩いたということ。しかも、さらにここまで歩いて帰ってきたということは……
「5時間くらい経っててもおかしくないか…。」
 でも、夕飯も食べずに。ううん。それどころか何も飲まない、休みもしないで、今までずっと一人でずっと歩いてたって、そんな……

 ふいに、のどに猛烈な渇きを覚えたのは当然の反応だったんだろう。
 その瞬間、わたしは冷蔵庫のドアに倒れるように飛びついていた。
 ドアをへばりつくように体全体で開けると。とりあえず、目についた牛乳の紙パックをそのままむさぼるように飲んだ。
 その後は…、ううん。後はよく憶えていない。
 憶えているのは、冷蔵庫が鳴っている音で我に返って。開けっ放しの冷蔵庫の前で、ずっとぼーっとしていたことに気づいたこと。
 それと、わたしの周りに散らばっていた、空の牛乳パックやバナナの皮、お豆腐のパック等々に唖然としちゃったこと。

 お腹が満たされたら、服が汗まみれで気持ちわるいことに気がついた。
 立ち上がったわたしの足は、シャワーを浴びに風呂に向かってよろよろと。
 シャワーを浴びた後の着替えなんて、全く頭になかった。
 洗面所は真っ暗。でもそこは自分のウチ。無意識に明かりを点けていて、その途端目が眩んだ。
 眩しいから目を瞑ったまま服を脱ごうとしたんだけれど、汗で濡れてるからだろう。ポロシャツもジーンズも、下着すらもするっと脱げない。
「あー、もぉっ!」
 顔から離れようとしないポロシャツにもイライラさせられたけど、思いっきり引っ張っても全然脱げないジーンズには思わずキレた。
 ドタバタ、ドタバタやってやっと脱げた服は、どれもくるくる裏返っっちゃって。床に脱ぎ捨ててそのままだったから、何だか絞った雑巾みたいだった。
 汗をたっぷり染み込んだそれらを両手でひとまとめに、そのまま洗濯機に放り込んだ時だった。
 どわん!
「きゃ!」
 いきなり聞こえた大きな音に、わたしはもぉびっくり。
 こわごわ辺りを窺っていたのだが、やがてに放り込んだ服が汗を吸って重くてそんな音をたてたんだと気づいた。
 あとになって思えば、その時はすでに始まっていたのだろう。


 E樹は、わたしより4つ上だった。
 E樹を知ったのは、わたしが大学生の時。彼はバイトをしていた会社の社員だった。
 学生のわたしとしては、彼はバイト先の会社の人という以外、特にイメージはなかった。
 ううん。話したりとかは結構してた。
 大きい会社じゃなかったから、そういうところは鷹揚だった。
 わたしたち学生のバイトとE樹たち若手の社員は、そこそこ仲が良かった。それこそ、彼氏彼女として付き合ってた人もいたくらい。
 ただ、わたしにとってそこのバイトは、あくまでサークルの合宿やスキー用具のお金を稼ぐためだった。

 そんなE樹が「食事でも」と誘ってきたのは、大学の卒業式の翌日か、その次の日の夜だった。
 その時、わたしは明日からスキーだったので寝ようとしてたんだと思う。
 卒業式の後なんて頃だから、当然その時はもうバイトはやめていた。
 4月からはわたしも社会人だし。あと、アパートの引っ越しの準備や、実家に帰ったりと色々忙しかったのだ。
 だから、夜、それも結構遅い時間に彼から電話がかかってきた時は、たぶんバイトに来れないか?みたいな話だと思った。
 まぁいろいろ世話になったことだし、一日くらいならバイトしてもいいかなーなんて呑気にE樹の声を聞いていたのだ。

 「メシでも食わない?」と言われた時は、一瞬何が何だかわからなくって。とにかくポカーンとしちゃったのを憶えている。
 そう、確か「えー、今からですぅ!?わたし、明日スキーなんでムリですー」なんて、トンチンカンなことを言ってたような。
 でも、そう言ってるそばから、そもそも何でバイト先の人が食事を誘ってくるんだろ?なんて考えたりもしていた。
 いや。さすがのわたしもその後すぐ、自分がデートに誘われたんだとわかった。
 わかったんだけど…
 バカな話だけど、実はわたし、これまでデートというものをしたことなくって……

「スキーから帰ってくるのはいつなの?」
 そんなわたしだったけど、それが「じゃぁスキーから帰ってきたらご飯を食べようよ」の意味だということはわかった。
 わかったけど、だからって、「明後日帰ってくるんですけど、その次の日はちょっと用事があるんで。だからその次の日ならいいですよ」なんてするりと口から出るわけがない。
 繰り返すようだけど、わたしは生まれてからこのかた、デートというものをしたことがないのだ。
 ううん。断ったことならあった。デートの誘いを。それも何回か。
 ていうか、たぶん10回くらいは断った記憶があるから、何十回と断ったことがあると言ってもそう間違いじゃないだろう。
 ただ、誘いを受けたことは一度もないわけでー。

 ただまぁこういう時、女というのは便利だ。
 と、つくづく思ったのを憶えている。
 だって、「あー」とか、「えー」とかしか言わないわたしを尻目に、E樹はデートの日取りを決めてしまったのだから。
 それは、電話を切った後。手帳にデートの待ち合わせ時間と場所を書いている時だった。
 なんとも言えない楽しい気分になっている自分に気がついて、わたしはちょっと愕然としてしまったのだ。
 えー、Eさんとデート?
 それも、生まれて初めてのデートがあの人って、ホント!?
 E樹…、というかその時はまだバイト先のEさんだったけど、そう、わたしにとってEさんというのは、それまでそういう存在でしかなかった。
 そりゃバイトをしながら楽しくおしゃべりしたこともあった。
 でも、それは普通の社交というか、とにかくそのEさんを付き合う相手として意識したことなんて全くなかった。
 なのに、その時のわたしの気持ちときたら…

 ていうか、わたしはあの時、なんでE樹のデートの誘いにOKしたのだろう?なんで断らなかったのだろう?
 そう。それまで誘われたデートのように。
 そう考えると、この話って、その時点ですでにミステリーだったのかもしれない。


 ひたすらシャワーを浴びていた。
 時間なんてわからない。
 その間、ずっと頭の中で何を思っていたのかもわからない。
 もしかしたら、何も思ってなかったのかもしれない。
 でも、そうやって汗を流したら、やっと正気に戻ったような気がした。
 その後、やっと体を洗ったんだけど、でもまだちょっと気持ちわるくて、もう一度洗ったと思う。
 わたしは元々髪を長くしない方だけど、その時ほどそれがよかったと思ったことはなかったと思う。
 だって、こんなにくたくただというのに、長い髪を延々乾かさなきゃならないなんて。
 それに、そう。髪を乾かすのに鏡を見るのが嫌だった。
 だって、自分の顔なんか見ちゃったら、くどくどと色々考えちゃいそうで……

 というか、やっと風呂を出て部屋に戻ったら、そこは何か考えるどこではなかった。
 だって、真っ暗なはずの部屋がぼわーんと明るくなっていたから。
 わたしはといえば、やっと正気に戻ったとはいえ、くたくたなことには変わりないわけで、つまり風呂から出たまんまの格好。
 一方、部屋に入るなり、時間に驚いて真っ先に冷蔵庫に向かったわけで、当然窓のカーテンは全開状態。それこそ外の明かりが見えた。
 何か着なきゃ!って思うのと、部屋がぼわーんと明るくなっていたのが開けっ放しの冷蔵庫だと気づいたのは同時。
「わー!」
 大慌てて冷蔵庫のドアを閉め、やっぱり慌てて服を着て。さらにちょっと慌ててカーテンを閉め、電気を点けたら、再び大慌て。
 だって、冷蔵庫の周りは転がった牛乳パックやらバナナの皮やらで、もぉ足の踏み場もない…
「はぁー。」
 ったく、今日はこんな日で、今もこんなにくたくただっていうのに…
「あーっ!くそっーっ!バカヤローっ!」
 でも、大慌てでそれらを片付けたおかげで、その後はコテンと何も考えずに寝ることが出来た。

 気づけば、わたしは街を歩いていた。
 どこだかはわからないけど、その風景に見覚えがあったから東京のどこかだった。たぶん、新宿とか渋谷とか繁華街の周辺。
 いい天気で、たぶん休日の午後なのだろう。通りは、カップルや子供を連れた夫婦でいっぱいだった。
 そんな中、わたしはどこへ行こうとしてるのだろう?
 その並木の植わった通りは大きく左に曲がっていて、先に何があるのか見えなかった。

 やがて、前の方から拡声器で何か言ってるのが聞こえてきて…。
 何だろ?何かのデモ行進でもやってるのかな。
 気づけば、周りを歩く人たちが足早にその声の方に向かっている。
 一方、向こうからこっちに歩いてくる人もいる。
 やっぱり足早に。
 何なんだろ?
 つられて、わたしもちょっと足早になった。

 拡声器の声はさらに大きく。
 ただ、やっぱり何を言ってるのかはわからない。
 わーん、わーん、わーん。
 それは、面白いことを言ってるのか、どっと人の湧く声が聞こえてくる。
 何かのイベントかな?
 声が大きくなるにつれ、通りにいる人も多くなって。
 ちょっと歩きにくい。
 でも、わたしはそこを歩いていく。声のする方に。

 と、ふいにピエロが。
「!?」
 向こうで、ピエロが踊っていた。
 ううん。ピエロなのか何なのか?
 とにかくピエロのような、やたらけばけばしい頭と服を着た人が選挙の街頭演説に使うようなクルマの上で踊っていて…。
 あ、違う。踊ってるんじゃない。
 そうか。あの拡声器の声は、このピエロみたいな人だったんだ。
 何か言いながらアクションが大きいから、踊ってるように見えたのか。
 でも、何なんだろ?このピエロみたいな人。
 何のイベントなんだろ?

 普段のわたしなら、街でそういうのを目にしても素通りするはずなのに。でも今はなぜかそれが気になってしょうがない。
「わーん、わーん、わーん。」
 ピエロはもうすぐそこでしゃべってるというのに。でも、何を言ってるのかやっぱりわからない。
 もはや通りは人がいっぱいで、いちいち「すみません」と言わないと前に進めない。
 その時だった。通りにいる人たちが一斉にどっと湧いたのは。
「えっ!?」
 わたしは辺りをキョロキョロ。
 さらにクルマの上のピエロを見たら、目がバッチリ合っちゃって、思わず息が止まった。
 クルマの上のピエロはわたしの目をガッチリ捉えたまま、踊るように何か言っている。
「わーん、わーん、わーん。」
 それに応えるように、どっと湧く人たち。
 その声はズンとわたしを押すようで、思わずたじろいでしまう。
 ピエロが何を言っているのかわかったのはその時だった。
 ううん。何と言ってるのかは、やっぱりわからない。
 でも、何を言ってるのかはわかったのだ。
 そう。クルマの上のピエロは、わたしに怒っていた。
「わーん、わーん、わーん。」
 それに応えるように湧く人たちは、今度はくるりと振り返って。
 そして、わたしを見ながらどっと湧いている。

 気づいた時には、わたしは通りを今来た方に駆けだしていた。
 でも、そこは人がいっぱいで、思うように走れない。
「すみません。通してください」
「すみません。通してください」
 わたしがそう言うと、通りの人たちはさっと道を開けてくれる。
 でも、そのたんび後ろからピエロのあの「わーん、わーん」という声が追ってきて。その途端、道を開けてくれた人とその周りの人たちが、わたしを見てどっと湧いて、何か囃し立てる。

「すみません。通してください。」
 一体、わたしはそれを何回繰り返したのだろう。
 そのたんび、わたしを見てどっと湧いて囃し立てる人たちは、一体何十人、いや、何百人いたのだろう。
 わたしは逃げて、逃げて…。
 気がついたら、わたしはいつの間にか見慣れた風景の中にいた。
「え…」
 そこは、あの渋谷の公園通りだった。

 目が覚めた時。それが夢だと気づい時、一瞬体がガツーンと沈んだような感覚があった。
 無性に怖くて。
 もぉ寝てなんかいられなかった。
 そのくせ、起きようとしても体が全く動かない。
 えっ…
 金縛りになったのは初めてだった。
 自分の体が他の人の物になってしまったように動かない。
 それは、まるでわたしが知らないうちにわたしが死んでしまったようで…
 いやーっ!

 そこはわたしの部屋だった。
 はぁー、はぁー、はぁー。
 その暗い部屋で。わたしは布団から上体だけ起こして、荒い呼吸をずっと繰り返していた。


「L子、アンタがお土産物色してるって…。
 えぇー、どういう風の吹き回しよ?」
「え?」
 見れば、案の定。そこにあったのはF子のニタニタ顔。
 それも、やけに近い。
「ち、近いって、もぉー。」
 しょうがないからわたしから離れたけど。
 でも、両手を前に出して止めても、F子のニタニタ笑いはズンズン近づいてくる。
「だ、大丈夫だって。そんなにどアップで顔、見せつけなくても。
 わたし、就職してもF子の顔は忘れないよ。」

 学生時代、最後のスキーだった。
 昨日の夜なんか、わたしもみんなも、なんかしんみりしちゃって。お酒のせいもあったのか、泣きだしちゃった子もいたくらいだった。
 ていうか、ついさっきだ。最後の一本を滑っている時、何だか無性に寂しい気持ちに襲われて…。
 急に視界が見えにくくなってきて、「何よ。最後の一本だっていうのに!」って思ってたら、自分がいつの間にか涙していたことに気がついた。
 ま、ゴーグルしてたから、誰にもバレなかったけど。
 お土産を…、そう。明後日、デートの約束をしたE樹…、じゃなくて、その時はまだEさんだったけど、その時わたしが彼へお土産を買ってこうかどうしようか迷っていたのは事実だった。
 つまり、それをF子が目ざとく察知してきたもんだから、最後のスキーでみんなしんみりしていたことでごまかそうとしたというわけ。
 だったんだけど…。
「ぶぶっ!アハハっ。」
 ダメだ。F子だと、そういうのはギャグにしかならない。
「うん。わたしも忘れないよ。
 よりによって学生時代最後のスキーで、L子が彼氏のお土産を物色してたことは…。」
「だ、だから――。」
「で?
 誰よ、誰?だぁーれなのよーぉー。
 もぉー、何よー。ちょっと白状しちゃいなさいよー。」
 って、また顔が近い。さらに。

 あそこのバイトへはF子も行ってたし。他の子も何人か行ってたからヘタなことは言うといろいろ面倒くさいことになりそうだった。
 しかし、このF子というヤツ、妙に勘のいいところがあるわけで…
「うん。あのさ、ナイショよ。F子だから言うんだからね。」
「もちろんよ。他ならぬL子のことだもん。絶対誰にも言わない!」
 もはや、その顔は狐狸妖怪の体を成していた。耳まで裂けた口がニヤリと笑っている。
 ただ、わたしもそれは同じだ。
「明後日、ちょっと実家に帰ってこようと思ってるんだけどね。
 実はわたし、高校の時、秘かに憧れてた先輩がいてさ…。」
「えぇっ!?L子って、女子校じゃなかったっけ?」
「え?あ、あぁ。だから、ほら、違う高校のバレー部の…。
 ほら。ウチの部、そこそこ強かったからさ。
 県大会で勝ち進んでいくと、男子の試合の会場と一緒になるのよ。」
「ふーん。」
「でさ。この際だから、ちょっと会ってみたいなーって。
 思っちゃった、っていうの?」
「え、連絡したの?」
「そうそう。電話したの。
 そしたらさー、向こうも会いたいって…。」
 いや。言ってるそばから、自分でもつくづく変な話だと思った。
 ただまぁ狐狸妖怪と化したF子は、あんがい単純みたいで。
「へー。L子にしては珍しく積極的ぃ~。」
「うん、うん。まぁ、それはそれとして…。」
「えっ。それはそれとしてって?」
「あ、だから、そういう意味じゃなくってね。
 それはそれとして、そう!F子は例の彼氏に何、お土産買ったの?」
「えぇっ。あぁ、アイツ?アイツは、こっち来た時は決まったんのよ。
 そばかりんとうって。
 前、たまたま買ってたら気に行っちゃったらしくってさ。
 こっちに滑りに行くっていうと必ず言うのよね。
 あれ買ってきてって…。」
「ふーん。そばかりんとうねー。
 あー、そういれば、あれ、おいしいのよねー。ポリポリさ。
 なるほどねー。わたしもそれにしよっかなー。」
 ふぅー。
 F子の顔を見れば、人の顔に戻ったようで。どうやらうまく煙に巻けたらしかった。

「そんなぁ、ダメだって。」
「え?」
 ホッとしたのもつかの間だった。
「そばかりんとうは、たまたまアイツが大好きだからいいけどさ。
 普通、買わないよね?彼氏のお土産に。そばかりんとうは、さ。」
「え?あー、そぉーお?でもポリポリ美味しいからいいと思う――。」
「やっぱさ。男の子だったらTシャツじゃない。
 バレー部だったんでしょ?彼。」
「バ、バ、バレー部?え!?」
「試合で一緒になったんじゃないの?」
「あー、そう、そう。県大会。
 ウチの部さ、そこそこ強かったんだけどさ。
 でも、いつも県大会止まりだったのよねー。」
「スポーツ得意なんでしょ?なら、やっぱりTシャツがいいと思うな。」
 
 そんなわけで、行きがかり上、Tシャツをお土産に買ってしまったわたしだったわけだけど…。
 次の日は一日中、社会人の人のお土産にTシャツって変じゃないのかなー。子供っぽいとか思われないかなーなんてヤキモキしてみたり。
 明日は何を着てこうか考えたり、鏡とさんざんにらめっこした挙句、髪型を変えてみたり、化粧してみたり…。
 そんな風に変にそわそわしている全然知らない自分にとっても驚いた記憶がある。


 街のど真ん中でいろんな人から非難され続けるなんて、そんな変な夢を見っちゃった後は眠れるわけもなく。
 起きだして、とりあえず気持ちを落ち着かせようとハーブティでも淹れようと思ったのだ。
 でも…。
 いやもぉどういう状態なんだろう?
 体が、それも特に上半身が重くって。台所まで歩くのがやっと。
 でも、台所っていったって、椅子のない学生の1Kアパートだ。
 もたれかかるモノもないから、仕方なくわたしは流しの脇のわずかなスペースにべたりと頭をつけ、床に膝立ちして。
 あとは、ずっとはぁはぁ喘いでいるばかり。
 あんな夢見るなんて、何なんだろ…
 それも、よりによって公園通りなんて…
 まったく。
 わたしだって後悔してるのよ…
 無茶苦茶。
 でももぉわたし、限界なんだって……

 パッと目が覚めた。
「えっ?」
 窓の方から鳥の囀る声が聞こえ、さらにその向こうからは電車が走ってる音が。
「えっ!」
 完全に目が覚めたのは、その瞬間。
「えっ、今何時?」
 昨日は日曜日だった。ということは、今日は月曜日。
 じゃぁ会社に行かなきゃなんないじゃん!
 慌てて時計を見れは8時をまわったところ。
 それは、普段ならもぉ電車に乗ってる時間。
 とにかく、顔洗って、歯を磨いて!
 入ってまだ2か月目の新入社員だ。とにかく遅刻はヤバイと大慌て。
 ただ、その大慌てで、とりあえずはあのまま台所の床で寝ちゃったことは忘れられた。
 でも、それからほぼ1年。そんな夜を、わたしは何十回も過ごすことになる。
 そう。あの一連の出来事は、そんな風に始まったのだ。



                  ―― 『姉弟掛け合い怪談:その21』〈つづく〉


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2017
06.10

怪談:17.6.10『姉弟掛け合い怪談-その20』

 
「帰ってさ。話したわけよ。B美。おふくろさんに、さ。
 そしたら、それ、横で聞いてた親父さんが、
 妙臨寺じゃない。あの時の寺は明倫寺だろって…。」
「だ、だ、だから、それってどういうことよ!」
「だから、勘違い。ふふっ。B美のおふくろさんの。
 たぶん、なんとなく、音で憶えてたんだろうね。めいりんじってさ。
 でも、B美のメモにZ海岸の妙臨寺って書いてあったのを見て。
 Z海岸のみょうりんじ?
 え、みょうりんじっていったら、あの時の寺じゃない!って。
 慌ててB美に電話したと…。」
「いや。だから、それって、どういうことなのよ?
 明倫寺なんでしょ?
 小2のBちゃん…、ふふっ。Bちゃんって、なんかいいよね。
 なんか、すごく、らしい。ふふっ。
 って、それはそれ。だから、明倫寺なわけよね?
 Bちゃんが、小2の時にその幽霊を見たのは。」
「うん。」
「でも、妙臨寺なのよね?ゼミ合宿で泊まったのは。」
「ふふっ。うん。そう。」
「違うお寺なのよね。その2つって。
 だから、ほら。京都なんか行くとあるじゃない。
 お寺の中に違うお寺があるとこ…。そういうんじゃないんでしょ。」
「うん。違うらしいよ。
 後で地図を見たら、別々のとこにちゃんとあったって言ってたから。」
「じゃぁ何でおんなじオバケが出るのよ。意味わかんない!」
「ふふっ。だからさ。意味なんてわかるわけないじゃん。
 怪談なんだもん。」
「うっ…。うーん。それはまぁそぉ…。いや、でもね――。」
「だから、怪談なの、怪談。
 怪談っていうのは、理に合わないから怪談なんじゃん。
 何かというと、合理的な解釈を求めちゃうのは、生きてるヤツの悪いクセだよ。」
「な、な、なによ。急にそんな哲学めいたこと言ってぇ。
 そんなこと言って、自分でカッコイイと思ってんじゃないわよ!」
「もぉ、なに怒ってんだよぉー。」
「ムカつくから怒ってんのっ!」
「なんだよ、それ。
 ねーちゃんの方がよっぽど意味わかんないよ。」

 その時、わたしは、自分が何でこんなに怒ってるのかわからなかった。
 もちろん、きっかけは弟の態度だ。
 弟が変な小理屈を言って、薄ら笑いを浮かべてるから、ついカチンときてしまったのだ。
 ましてや、Bちゃんの話がワケわからなかったからではない。
 そう。ちょっと前まで、Bちゃんって呼び名が変にB美さんらしくて、それが微笑ましくて、つい「Bちゃん」って言っちゃったくらいだったのだ。
 なのに、何なのだろう?どこからからなのだろう?
 腹ただしい感情が、次々と湧いてきて止まらない…

「ていうかさ。後がいろいろ大変だったらしくってさ。
 おふくろさんの方は、ほら、電話してる最中だったわけじゃない。
 おふくろさんは心配して電話してきたわけで、
 でも、その最中に…、ってことじゃん。
 だから、それはもちろん心配して、大変だったらしいんだけどさ。
 でもさ。それより何より大変だったのは、そのゼミの人たちなわけ。
 だって、見ちゃったわけじゃん。
 見ちゃった人はもちろん。見てない人まで怖い怖いって。
 幽霊が出るとこなんか泊まってられないってことになったとかでさ…。」
「ていうか、Bちゃんはぁ?
 Bちゃんはどうしたのよっ。」
「B美?」
「だから。Bちゃんは、大丈夫だったのかって話よ。
 だって、そうでしょ。
 小2の時は、怖すぎて記憶を消しちゃったわけじゃない!」
「あー、うん。それがね。B美は不思議と落ち着いてたんだって。
 もちろんさ。怖いのは怖いんだろうけどさ。
 あれかな?怖さより驚きの方が大きかったのかな?
 あー、いや。今でもスゴイ怖がりだよ、B美。
 それは、今でも全然変わんないって言ってた。
 でもね。その時はホント淡々としてたとかでさ。
 むしろ、怖がってるゼミの人たちの面倒みてたらしいよ。」
「……。」
「なんでもさ。お寺の人たちに言っても、
 誰も首を傾げるばっかりだったとかでさ。」
「そ、そうよね。それは言うよね。泊まった方としては…。
 で?お寺の人はなんて言ってたのよ。」
「だから、なんとも…。
 そんなモノ見たことないし。話も聞いたことないって、
 首を傾げるばかりだったって…。」
 そう言った弟は両手を広げ、肩をすくめて苦笑い。
 それは、お寺の人もまさにそんな感じだったんだろうという感じで。シャクに障ることに、一瞬クスッとしてしまった。

「ていうか。Bちゃんは?Bちゃんは、それ、言ったの?
 その小2の時のこと。」
「あー、だからー、言わなかったんだって。
 まぁ何か勘が働いたんじゃない。言わない方がいいみたいだって。
 そしたら、案の定…。」
「あ、そういうことか…。」
「そう。家に帰ったら、妙臨寺じゃなくって、明倫寺だったと…。
 うん。ふふっ。まぁ人騒がせというか何と言うかだよね。ハハハ。
 B美のおふくろさんって、ホントそんなとこあってさ。アハハ。
 オレ、なんか笑っちゃった。」
「えぇー…。
 でもさぁ、でも。なんかさ、キモチワルイのよ。
 だって実際は、それは違うお寺だったわけよね。
 なのに何で…。うん。だから、わたし、そこがすんごく納得いかない。」
「あー、わかった。」
「何よ。何がわかったのよ。」
「いや、うん。
 だから、ねーちゃんが納得いかなくてキモチワルがってるのに、
 オレはなんとなく納得しちゃったわけ。」
「どういうことよ?」
 そう言って見た弟は、なんだかやけに朗らかに笑っていた。
 いや。一瞬、いつものニヤニヤ笑いと思って。また怒りの感情がもたげたのだ。でも、なぜだろう。それは、すっと収まった。
「だからね。たぶん、それはB美のおふくろさんのせいだと思う。」
「?」
「B美からその話聞いてさ。で、B美のおふくろさんが親父さんに、
 お前、あれは明倫寺だろって言われて、ポカンとしてる顔、
 オレ、なんとなく想像出来ちゃったわけ。
 あと、それ見てB美が、もぉー!なんて言ってる様子も、さ。
 それを思ったら、いやもぉ無性に可笑しくなっちゃってさ。
 お母さんらしいよねって言ったら、B美も、でしょぉって。
 ホンっト呆れたって顔で笑ってるし…。
 うん。だからさ、なんだろ?
 そんなこと思ったら、もぉどうでもよくなっちゃったんだよね。
 アハハ、アハハ、アッハッハハハハ……。」

 そんな弟は、笑いが止まらなくなってしまったみたいで。
 わたしは、もぉ付き合ってられないと寝ることにしたんだけど、しばらく一人で笑ってたみたいで。
 わたしが歯を磨いてる時も、くっく、くっくと笑い声が聞こえてた。

 ……。
 そうか。いい家族なんだなぁ、Bちゃんち…
 で、今度は
 そこにあの弟が加わると。
 うん。まぁ…
 あのバカ弟、バカのくせして、ホンっト自分に合ういい相手を見つけたってことなんだな……

 そう。明日って天気はどうなんだろう。
 晴れてくんないかなぁ…
 ホント、明日から引っ越し先、本気で探そ。
 ふわっ…
 うーん。ふー。
 なんだか、急にアクビが出た。ふふっ。
 うん。もぉ寝よう、寝よう。おやすみー。
 あははっ

 って、もぉなんなのよ。
 なんで、明かりを消して布団に入ったら、眠気が覚めてるのよ。
 もぉー。
 あれ?もしかして、また雨降ってきた?
 わたしは、布団に入ったまま耳をすましていたが、確かにポツポツと雨戸に雨のあたる音がしていた。
 ぽつ、ぽつ。ぽつぽつ。ぽつ…

 はぁー。明日も雨なのかなぁ…
 雨の日は、アパート探しに向かない。
 どんなに部屋を見ても、悪いとこばっか目についちゃうから。
 一日歩き回っても、結局雨に濡れただけになっちゃうのだ。
 ううん。でも、そんな風に歩き回る合間に、雨宿りに適当なカフェかなんかに入って。
 コーヒーを飲みながら、不動産屋さんからもらった間取り図を見て。
 いいとこないなーんなんて、ため息吐いてるのも、それはそれで悪くないとも思う。
 思うんだけど、こんな日は…
 そう。さっきの弟の、あのなんとも言えない満ち足りた顔を見ちゃったら…
 あぁ~あ。
 ……。
 一人でいるのは全然辛くない。
 寂しいなんて思ったことないし、むしろ一人の時間は好きだ。
 ただ、一人だと、行くところがないからつまらない。
 どこかに行って、楽しそうな人と人を見てると孤独を感じてしまうから…
 そう。だから、わたしはアパートを探す。
 好きな一人でいるために……
 なんてね。ふふっ。
 そう。その時わたしは布団の中で、違うお寺なのにそれが現れたことを考えてしまうのを止められなかった。
 だって、弟と違って、わたしは一人だから…

 そもそも、オバケとか幽霊ってなんなのだろう。
 いつからいるのだろう。人が先か、お化けや幽霊が先か。
 ていうか、それらは“いる”のか、“ある”のか。
 ふぅー。
 って、そんなこと、わかるわけないじゃん。
 わかるわけないんだけど、でも…、そう。小2といえば8歳?
 で、大学3年っていったら、普通は21よね。
 てことは、13年を経て同じソレを見たってことなわけで…。
 うん。同じとは限らないんだろうけど、ま、ここは同じとしてー、つまり、13年後に同じ町の違うお寺でソレを見たってことになるわけか。
 そう、だから話がややこしくなってるのは、お寺が違うにも関わらず、Bちゃんの記憶では一致しちゃってるのよね。
 でも、お寺は違うのは絶対なんだから、Bちゃんの記憶は勘違いということだ。
 てことは、ソレだって勘違いって可能性が高いわけだけど…
 うん。まぁそれはこの際考えないことにして…。

 なぜだかわからないが、その時わたしは、Bちゃんが見たソレは同じだということに固執していた。
 それは、あとで思えば、ちょっと変なくらいで、そう。それはBちゃんがそうだったように。わたしも無意識に忘れていた――わたしの場合は無理に忘れていただが――心の扉を開こうとしていたのだろう。


 あれは、確か5月の下旬だった。
 ううん。確かじゃない。間違いなく5月の下旬…、うーん。さすがに日にちまでは憶えてないけど、あれは5月最後の日曜だった。
 梅雨に入る前によくある、夏を思わせるような暑い日で、その日、わたしの隣りには……

 だから…、この際だから、ちゃんと思いだしてしまおう。
 わたしが心の一番奥にしまい込んだ、一番暗いそれを。
 あの日、そこ…、わたしの隣りにはE樹がいた。


                   ―― 『姉弟掛け合い怪談:その20』〈つづく〉

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2017
06.04

怪談:17.6.4『姉弟掛け合い怪談-その19』

 
 せっかく海に来たんだからって、みんなで海岸に行ったのはもう夕方だった。
 前にも話したが、その日はいい天気だった。
 いかにも夏もまだ初めって感じの、暑いのは暑いんだけど、でも、どこかさっぱりした暑さ。
 日差しの色にまだ透明感があるというか、そう、ちょっとアニメに出てくる夏のようだった。
 ただ、講義が終わって初めて気がついたんだけど、いつの間にか空は黒い雲に覆われていて。その雲もあちこち風にちぎれ、今にもザッときそうな空で。みんな、思わず、どうしようか?と顔を見合わせていたのだ。

 そうそう。
 例の母からの着信に気がついたのは、その時だった。
 母はメールとかめんどくさいタイプの人で――もちろん、当時はスマホはなかったし、LINEなんかもなかった――普段は留守電に何か入れることが多いのだが、その時は着信だけだったからなのだろう。
 なんだろう?と、変に引っかかったわたしは海に行くの行かないの言っているみんなを尻目に大広間の外に出ようと…、そう。着信の折り返しだから、たぶん大広間の中で発信ボタンを押して、耳に電話をあてながら歩いていたと思う。

 そういえば、普段そういう時って何を見ているんだろう。
 何かを見ていても、たぶんそれを見ていることを意識してなくって、そう、頭は目で見ているソレを意識から外して、電話の相手と話すことを考えていることが多いのか。
 その時のわたしも、たぶんそうだったと思う。
 電話にばかり気を取られて歩いてたら、目に入ってきた大広間の出入り口の向こうの回廊が伸びている風景にハッとしたのだ。
 真っ直ぐ…、というか、正しくは大広間の入り口から見ると、それはやや右斜めに伸びているのだが、その伸びている回廊の屋根の裏と板張りの廊下の風景が頭に入ってきて。
 それから、その横の竹林と反対側の庭が目に入ってきたんだと思うけど、あ…、違う、違う。あの時は、たぶん、大広間の入口から見て左側にある竹林を見た…、正しくは竹林に停まっている軽トラックに目がいってしまったんだと思う。
 その途端、というか、それはもう回廊の風景を見た時から始まっていたんだと思うけど、あの不思議な感じで頭の中が徐々に、徐々にウワーっとなってきて。
 そんな状態だったからか何なのか、竹林の軽トラックを見た瞬間、ソレが甦ってきた。
 ただ、C瀬さんが「既視感」と言っていたように。頭が勝手に見ている風景と過去の記憶と結び付けることで、前にも来たことがあるように感じちゃうんだろうなって思ったのも確かだ。
 だって、なによりわたし、関東の南は東京くらいしか来たことないんだもん。なら、それは気のせいということだ。
 ただ、その前…、そう。講義の合間にトイレに行った時にC瀬さんに会った時一瞬掴みかけた、とっても気持ちの悪い、何かこう記憶のようなもの。あれも、やっぱり既視感なんだろうか?とも思った。
 とにかく、あの時わたしは耳には電話の呼び出し音、目は竹林の軽トラックと周りのことに気もそぞろだった。

 そんなわたしに横から…、横といってもわたし視線はひたすら竹林の軽トラックの方を見ていたから、それはほとんど後ろから聞こえてきた。
「B××××」
「え?」
 わたしの名前を呼ぶ声に振り返ったそこ。
 本堂へと続く回廊の暗がりに立っていたその人って、ホント誰だったんだろう。
 あの時、ゼミのみんなは部屋の中で、海に行くの行かないのって話していた。だから、その時わたしに声をかけたそれがゼミのみんなであるはずはない。
 あっ!でも、先生は…
 あの日、海に行った時、先生はいなかったから、大広間の中の海に行くの行かないのの話の輪には加わってなかったはずだ。
 ということは、講義が終わった後。わたしが気づいてなかっただけで、一人、先に部屋を出ていて。電話をかけようと、わたしが大広間を出たところで先生が声をかけてきたってこともあるわけだ。
 でも…
 そう。結局、そこに戻ってしまう。
 あの時、後ろから聞こえてきたそれは、ゼミのみんなや先生がわたしを呼ぶ時に使う「Bちゃん」じゃなかったと思うのだ。

 繰り返すようだけど、その声の主は本堂へと続く回廊の方からわたしに声をかけてきた。
 その声に振り返ったわたしは、その顔を間違いなく見たはずだ。
 というか、そう。その顔を見たのなら、その後、その人と何か会話をしたはずなのだ。
 なのに、その記憶は全くない。
 それは――あとになって思えば――まるで、駅を降りた時からずっと続いている、あの不思議な感覚の正体に気づきかけたわたしの気を反らせるためにそこに現れたかのようで…。
 実際、その後、わたしはその感じを考えるのをやめてしまったし。なにより、母に電話するのもやめて大広間に戻ってしまったのだ。
 もし、その時、母と話してたら、あんなことはなかったかもしれないというのに…


 大広間に戻ろうと入り口のとこに行ったら、ちょうどみんながこっちに歩いてくるところだった。
「おらおら、Bちゃん。海行くぞー、おら!」
 A沢クンのお調子者ぶりは相変わらずだ。ついさっき、研究テーマのことで先生からあんなにしぼられていたというのに。
「あ、行くことになったんだ、海…。」
「あぁ。部屋で寝てるって言ってるヤツもいるけどね。
 Bちゃんは行くだろ?ていうか、買い出し、手伝ってよ。」
「えぇー、手伝いぃ。どうしよっかなぁー。ふふっ。」
「重いんだからさー。少し手伝ってよぉ。」
「えー、ムリ。だって、か弱いもん。」
「なにがか弱いだよ。そのデカい図体で。」
「ぜぇーったい行かない!」
 そこにC瀬さんがからんできた。
「え、なんだよBちゃん、行かないの?海。
 行こうぜー。ここに居たって、しょうがないじゃん。
 え?それとも、また、ぶぶっ。さっきみたくさ。ハハハ。
 また、ここはどこ?わたしはだれ?ってヨロヨロしてたいとか?
 ダメだって。
 そーいうのはさ、か弱い女の子じゃないと似合わないんだぜ。アッハハ。」
「ちょ、ちょっとC瀬さん!
 わたし、そんなこと言ってない――。」
「なになになに。なにがあったんです?」
「いや、うん。さっきさ。トイレ行って帰ってきたらさ。
 Bちゃん、あの回廊のとこで道に迷っちゃったみたいでさ。
 あっちキョロキョロ、こっちキョロキョロ。
 しまいにゃ目ぇ回しちゃって、フラフラーって。ハハハっ。」
「だから、そんなことやってないですよね。」
「あ、それ、講義が始まる前もそうだったんですよ。Bちゃん。
 そこんとこで、いきなりフラ~って。ハハハ。
 オレ、だから言ったんですよ。
 Bちゃんはガタイがデカいから燃費わるいだろうなーって。」
「B沢クンって、ホンっト、ワンパターンよね。」
「バカ!オマエ、それは言いすぎだぞ。Bちゃんに謝れ。
 仮にもな。Bちゃんは女の子なんだぞ。」
「仮にもって、何なんですか。もぉっ!」
 そんなことやって騒いでいると、やっぱり楽しそうに見えるのだろう。
 他の男の子まで一緒になってやいのかいの…と、なりかけた時。
「もぉさ。こーいうの、相手しなくていいから。
 ウチのゼミってさ。男がバカぞろいなのは、なんか伝統みたいでさ。
 去年もヒドかったんだけど、今年はさ、ほら、女の子が多いじゃない?
 もぉーさ。はしゃいじゃって、はしゃいじゃって…。
 もぉサル山のサルよ、サル!サルなみ。
 キャッキャ、キャッキャって。アハハ。」

 結局、そのままD子さんと、あと同じ学年の女の子たちで海に行ったんだけど…。
 わたしたち女子からそっぽ向かれて10歩くらい遅れてついてくる、C瀬さんやA沢クン、その他ゼミの男の子たちの群れは何だか妙にしょぼくれちゃって。
 それはなんだか、群れから追い出されちゃった若いオスザル同士、とりあえず肩寄せなぐさめあっているようで。
 海までの道すがら、わたしたち女子はそれを時々盗み見しちゃぁ、みんなでクスクス笑っていた。


 でも、せっかく行ったのに、海は誰もいなくって。変に寂しくって、まるで秋も遅くなった頃の海みたいだった。
 まぁ昼間の町中の様子からすれば、それはそうなんだろう。
 でも、海の様子も、水平線すれすれってくらいまで真っ黒な雲が重々しくたちこめ、なんだか今にもざっと降ってきそうな感じで。
 結局、すぐに戻ることになっんだけど、それは正解だった。
 というのも、その帰り道、買い出しを終えて店を出たら、外がやけに暗いのに驚いて。「早く寺に戻ろう」なんて言ってるそばから顔にポツリポツリ。
 「あ、降ってきた?」なんて足を速めていたら。どこからともなくカラカラ、カラカラ、音がやって来て。
 「なんの音?」って振り返った顔に雨粒がビチャっとあたった。
 と、たちまち、辺りはふわーっと雨の匂いに包まれていた。
「ひゃぁ!冷てぇ。」
「なんだよこの雨粒。やけに水の量が多いんだけど…。」
 なんて、空を見上げているうちはまだよかった。
 そのやけに水の量が多い雨粒が、たちまちザーザー降りに。
「ひぇー。」
「もぉダッシュ!ダッシュ!」
 妙臨寺まではそこからすぐだったのだけれど、それでも全員もぉびしょ濡れ。
 「やっぱり行かない方が正解だったなー」とか、「でも、買い出しは行くしかなかったわけだしー」とか。みんないろいろぼやいていたけど、でも、その顔は全員楽しそうだった。


 部屋で乾いた服に着替えた後は、結局また大広間に戻った。
 疲れちゃったから休んでるなんて言ってた子もいたんだけど、わたしはその部屋って薄暗いから好きじゃなくって。
 もっとも、外から聞こえる雨音はさらにゴーゴーと強くなっていたから、その圧迫感もあったのだろう。
 例の回廊に出て外を見たら、あの部屋が暗いというより雨雲で外が暗くなっていたことに気がついた。
 夏の初めだったから、まだ全然明るいはずの時間なのに。回廊から見る庭は、なんだかもぉ夜になってしまったようで。
 ただでさえ強い雨なのに。庭は棕櫚やソテツ、あと照葉樹のような葉っぱの大きな木ばっかりだったから、その葉に雨粒があたる音がバツバツ、バツバツすごかった。
 すっかり暗くなってしまった庭の中。視界の端で、ひょこひょこ動くものがあるのに気がついて見たら。
 それは、大きなソテツの下。その尖った葉の下に植わってるツワブキの葉が一枚、上から落ちてくる雨粒にあたるたび、ひょこひょことお辞儀を繰り返している。
 なぜか、わたしはそれをしばらくぼーっと見ていた。
 でも、そのうち、それが暗がりから何かが手招きしているようにも見えてきて。慌てて目を逸らしたのだ。
 あの不思議な感覚が甦ってきたのはその時だった。
 海に行ってから収まっていたというのに。
「……。」
 わたしは、ぼーっと。回廊の、雨が降りかかってこない所に立って。
 今は墨色に染まっている、庭の木々に雨があたる音を見ていた。
 そう。わたし、この風景、やっぱり前に見たことある…
 やっぱり、こんな風に雨の中、回廊から庭を見てた
 そうか。あの時もたた夜だから暗かったんじゃなくて、雨のせいもあったんだ
 そうよ。こんな風に、雨雲が屋根のすぐ上に垂れこめてて…
 庭の木々の葉っぱに雨があたる音がすごくて…
 それを見てたのよ
 でも、それっていつのことなんだろう…
 中学高校の時は夏休みというと、わたしは部活ばっかりだった
 だから、旅行なんて行かなかった
 てことは、小学生の時ってことか…
 小学生の時の夏休みっていったら、6年の時は裏磐梯よね
 5年と4年の時は、U未やみんなとプールばっか行ってたから旅行に行ってないし…
 3年の時はクルマで草津から日光に行ったんだったなぁ…
 その前は…、あー、そう。引っ越しがあったりで、旅行どこじゃなかったのよね

 そんな風に順々に時を遡っていったけど、夏休みにここに来たことはなかった。
 それはそうだ。そもそも、わたしは南関東の方は友だちと東京に遊びに行った以外ないのだから。
 そういえば、かの有名なテーマパークすら行ったことがなかった。
 でも…
 今、この回廊から見ているこの風景。そう、夜のように暗くなったこの庭で雨音をたてている南国っぽい木々
 あと、あの真っ黒い雲の真下にある本道の屋根のシルエットも…
 それらが、わたしの中のどこかにある記憶にそっくりそのまま重なるのは何なのだろう。

 ザーーー
 激しい雨は、まだ続いていた。
 相当な雨量なのだろう。どこからか、ピチャピチャ流れる水の音が聞こえる。
 そんな光景を見ていたら、それがそのいつのことかわからない時の風景と重なって、なんだか今がいつなんだかわからなくなってきて…
 雨音…
 墨色に染まった庭
 真っ黒な空
 その時わたしは、ふと回廊の方に視線を戻して……
「きゃ」

 それは、低く垂れ込める雨雲の下、墨色に染まった庭をぼーっと眺めていたわたしが、ふと回廊に視線を戻した時だった。
 回廊に戻したわたしの視界の中に、いきなり入ってきた真っ黒い女。
 一瞬、頭の中がぽかーんと真っ暗になった。
 わたしは目の前の真っ黒い女から逃れようと、たぶん無意識に後ずさったのだろう。
 でも、真っ黒い女は、そんなわたしに素早く駆け寄ってきた。
「ー、ー、ー…。」
 もう悲鳴すら出てこない。のどの奥で空気が擦れた音がするだけ。
 虚ろになった頭に、なぜかあの不思議な感じがうわーっと流れ込んでくる。
 もはや、わたしはどうすることも出来なくって。わたしの背より頭一つくらい高い、その真っ黒い女の顔を見上げた。
「だ、大丈夫?」
 気づけば、その真っ黒い女はD子さんの顔になっていて。そしてわたしは、D子さんに体を抱き止められていた。
「はぁー、はぁー、はぁー。」
「ごめん、ごめん。Bちゃん、ぼーっと立ってたからさ。
 あ、だから、おどかそうとしたわけじゃないのよ。
 でもさ。つい…。」
「はぁー、はぁー。大丈夫です、大丈夫。
 あー、でも、びっくりしたぁ…。」
 気づくと、D子さんの顔があまりに近くにあったので。何気に身を引くと、D子さんの体もわたしからすっと離れた。
「ホント、大丈夫?」
「ええ。大丈夫です、大丈夫。
 わたし、なんか、ぼーっと庭を見てたんですよ。
 でも、なんとなく目を戻したら、いきなりそこに人がいたから…。」
「だから、ごめんって言ってるじゃない。
 あー、だから、ホントおどかそうとしたわけじゃないのよ。
 いや、うん。先に声かければよかったんだろうね。
 でも、Bちゃん、ずっとぼーっとしてるから…。」
「あー、そうか。この雨の音で、足音が聞こえなかったんでしょうね。」
「あぁそうか。それもあったのかもね。
 でも、ホントごめん、ごめん。」
「いえ。ぼーっとしてたわたしが悪いんですから…。」

 って、つまり、それは例によって、A沢クンとC瀬さんたちの格好のからかいネタになるわけで。
 というか、D子さんもD子さんだ。そうなるのは目に見えているのに、大広間に行ってからわざわざ話しちゃうんだもん。もぉー。


「アッハハ。“きゃ”はないよな、“きゃ”は。
 Bちゃんのそのガタイで、“きゃ”はない。絶対ない。ないったら、ない!」
「だから、A沢。ハハハッ。
 オマエ、いくらなんだって、そこまで強調したらBちゃんに失礼だぞ。ハハハッ。
 仮にもな、ハハハッ、Bちゃんはな、ハハハッ。
 女の子…、ハハハッ。ダメだ。ハラいたくって。ハハハッ。」
「って、それ、C瀬さんの方がよっぽど失礼でしょ。アッハハ。」
「ばーか。オレはゼミの幹事だから、そのくらいは許されるんだよ。
 ねぇぇー。ハハハッ。」
「なんで許されるんですか!」
「あー、でもね。あの時のBちゃんの顔。
 あれは2人にも見せてあげたかったなぁー。
 人間の目って、あんなに真ん丸になるもんなんだーってさ。
 わたし、初めて知った。ふふふ、あははは。」
「ちょ、ちょっとD子さんまで!」
「ハハハッ」
「でもさ。そりゃD子さんだもん。Bちゃんだって驚きますって。
 だって、それこそ暗がりに大入道が現れたみたいなもんでしょ、イタっ!
 だから、D子さんのそのグローブみたいな手で叩かれたら、イタっ!
 もぉー。」
「ふふふ…。」
「ハハハッ」

 横に置いていたわたしのケータイがブルブルいったのは、そのタイミングだった。
 見れば母からで、あー、そうだっけ。さっき電話していなかったからそのままになってたんだっけと思いだした。
 立ち上がったわたしは電話に出ようと、大広間を出た。
 いや、3人は相変わらず笑っていた。涙を流して。
 そんな3人を尻目に、わたしは舌打ちするやら、笑っちゃうやら。
 「もぉー」なんて苦笑いしてたら、電話の向こうから母の声が聞こえてきた。
「あー、B美?
 あんた、電話台××××泊ま××××連絡先××××。
 ××見て電話×××××、B美、あん×、だいじょう××の?」
「えー、なぁに?聞こえない。」
 大広間の外は相変わらずの雨。さすがに、さっきよりは弱まったみたいだけど、でも、ここは葉っぱが大きな木ばっかりだから…。
「え、なに?今、こっちさ。スゴイ雨なの。
 その音でよく聞こえないんだけど…。」
「電話台のとこ!」
 こっちの状況を察したのだろう。あるいは、向こうまでこのスゴイ雨音が聞こえたのか。いきなり、怒鳴るようにして話す母の大きな声が聞こえてきた。
「え、電話台!?」
「電話台のとこに泊まるとこの連絡先っ、あんた、置いといたでしょ!」
「あぁ、うん。」
 今朝、こっちに来る前。わたしは、何かがあった時の連絡先と思って、この妙臨時の所在地と電話番号を置いておいた。
 ケータイが普及したこのご時世。宿泊先の電話番号を知らせてもあまり意味がないのだけれど、ま、以前からの習慣のようなものだ。
「それ見てっ、さっきっ、電話したのっ。」
「あ、そういうこと。…!?」
 特に何があったというわけではなさそうだったが、ただ、なら何で電話してきたんだろうと、わたしはちょっと変に思った。
「でさ!そこ。そこって、妙臨寺なんでしょ。
 あんたさっ、大丈夫なの?」
「だ、だ、大丈夫!?
 だ、大丈夫って…、えぇー、何が?」
 どうやら母が心配して電話してきたことはわかったけど、でも何を心配してるのかさっぱり要領を得ない。
「だからっ!妙臨寺なのよね?そこ。Z海岸の…。
 あんた、ホンっト大丈夫なの?」
「だ、大丈夫って、何が、よ?
 なに言ってるか全然わからない。」
 大丈夫なの?って聞いてくるのも、わけがわからなかったが。でも、それ以上に母が言っていることに何か違和感があって。
 さらに、この雨音で聞き取りにくいのと、大きな声で話す母の声が怒鳴ってるようで、それが気にさわるのが重なって、その時わたしはかなり混乱していた。
「×××××……。」
「え?よく聞こえない。もっと大きい声で言って。」
 母の言ってることの違和感が何なのか気づいたのはその時だった。
 そう。「そこ、妙臨寺なんでしょ」、「妙臨時なのよね、そこ」って、母はまるでこの妙臨寺を知ってるかのように話しているのだ。

「だからっ。別に大丈夫なんでしょ?特に何ともないんでしょ?
 ならいいの。うん。じゃぁもう切る――。」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってって。
 おかあさんさ。今、言ったよね。そこ、妙臨寺なんでしょって。
 妙臨寺なんでしょって、それ、どういうことよ?
 それじゃぁまるで知ってるみたいじゃない。ここのこと…。」
「×××××……。」
「え?だから聞こえないのよ。雨の音で。もっと大きい声で言って。
 そう。雨よ、雨。すーっごい雨。そっち、まだ明るいよね?
 こっちはもぉ夜みたいでさ。暗いし、雨はすごいし…。
 もぉなに笑ってるのよー。笑いごとじゃないわよ、もぉ。ふふふ。
 え?“また雨なんだ”って言ったの?
 “あんたって、意外に雨女”って、えー、そぉ~お?そうかなぁ…。
 …て、えっ!また雨って?
 “また”ってどういうことよ?」
 後になって思えば、意識にこそのぼっていなかったものの。頭のどこかでは、薄々その事実に気づいていたのだろう。
「だからっ。あの時もすごかったでしょ、雨。
 えっ、あんた、ホントに全然憶えてないの!?」
「あの時?憶えてない?
 えぇっ!?なに言ってるの、おかあさん…。」

 わたしの中にある扉が開こうとしていた。
 それは、その出来事があまりに怖かったからなのだろう。その出来事はもちろん、その出来事につながること…、そう、そうだ。わたしが前にここに家族と海水浴に来ていたことも含めて、全てその扉の向こうに閉じ込めて。さらに、その扉の存在すら忘れ去ってしまったんじゃないだろうか。
「昔…、そう、だから、あなたが小学校2年生の時よ。
 夏休みに家族みんなでそこ…、あ、だからZ海岸に行ったの。
 海水浴に。それはわかるわよね?」
 えっ…
 小2の時?ここに?わたしが来た?
「えっ。それも憶えてないの?ホントに?
 えぇー、どうしよう?どうしたらいいんだろう?
 お父さん、まだ帰ってきてないし…。
 それも、また強い雨が降ってるって…。」 
 ふいに、またあの不思議な感覚に襲われた。それも、今までにないくらい強く。
 ぐぃーんと、頭の中にあるものが上に吸い上げられるような。そんな、気がいきそうな感じの後、それはやって来た。

 小学2年生の夏休み。
 夏といっても、もぉ夏の終わりだった。
 家族で来た2泊3日の海水浴。
 その前の年、わたしの家は引っ越しだったから、久しぶりの家族旅行だった。
 なのに2日目の午後、急に雨が降りだして。
 最初は、どうせ濡れるんだからなんて言ってたのだが、雨は次第に強くなって民宿に戻ったのだ。
 すると…、いや、その辺のくわしいことはわからない。まだ子供だったから。
 たぶん雨が強くて避難したんじゃないかと思うんだけど、雨の中、お寺に行ったのだ。

「そう。確か、台風が来てたのよ。
 あ、違う。台風はまだ遠かったんだけど、前線だったかな?
 とにかくすごい雨でさ。泊まってた民宿の横の川が急に増水したとかでさ。
 お寺に避難しろってことになったのよ。それがそこ、妙臨寺。」

 お寺にいたのは、そんなに多くの人ではなかった。
 わたしが泊まってた民宿の横の川の増水ってことなら、たぶん避難することになったのは一部の地域だけだったのだろう。
 避難したわたしたちにあてがわれた場所は本堂だった。
 でも、その本堂は薄暗いし。屋根に雨のあたるゴォーという音で、天井全体が鳴り響いていて、今にもその天井が落ちてくるような圧迫感があった。
 さらに、正面の大きな仏さまの像が気味悪くて…
 だから、わたしは本堂の正面の出入り口のとこから、ずっと一人で外を見ていた。
 もちろん、外だって怖かった。でも、その薄暗い本堂と正面の仏さまはもっと気味悪かったのだ。

「うん、そうなの、そうなの。
 実を言うとね。あの仏像はおかあさんもちょっと気味悪かったのよね。
 だから、あんたが嫌がって入り口のとこにいたの、放っておいたのよ。
 蒸し暑かったから、どうせ戸は開けっ放しだったしね。」

 本堂の中は薄暗くて気味悪かったが、外はホント真っ暗だった。
 本堂から洩れる明かりと、左側を通る、学校にある渡り廊下みたいなみたいな通路のところどころついた明かり。それ以外は真っ暗なのだが、でもそれはどこか澄んだ暗闇で。本堂の見えるようで見えない、あの薄暗さよりはまだ耐えられた。
 そんな暗がりをしばらくぼーっと見てたら、次第に目が慣れてきたみたいで…
 真っ黒な空と真っ暗なお寺の建物や庭の木々の境が、なんとなく見えてきた。さらに、この強い雨で、庭の大きな木々の葉っぱが小刻みに揺れているのも。
 それが見えてくると、この雨音とは別にそれらの葉っぱがパツパツ、パツパツ音を発しているのもわかった。
 本堂から洩れている明かりがあたってるところだけ、それら音をたてている葉っぱが見えた。
 それらは大きくて、とがってたりギザギザだったり。かとおもうと真ん丸だったりで、わたしの家のある辺りに生えている木々の葉っぱとはずいぶん違ってた。
 わたしはそれが妙に面白くて、一人、その強い雨の降る真っ暗なお寺の庭をぼーっと見ていた。

 そんな中、視界のすぐ手前で、ひょこひょこと小刻みに動いているものがあるのに気がついた。
 それは、とがった大きな葉っぱの木の下。その下にあった、真ん丸な葉っぱの一枚だった。
 たぶん、それはその上のとがった葉っぱから雨粒が落ちてくるのだろう。その丸い葉っぱ一枚だけが、ひょこひょことお辞儀でもするように小刻みに動いていた。
 いや、それが面白かったとか、そういうことではないと思う。
 そういうことではないけど、わたしはその時それをしばらくぼーっと見ていた。
 でも、そのうちそれが、とがった大きな葉っぱの下の暗がりで、変なものが手招きしているように見えて。
 急に怖くなったわたしは、慌てて目を逸らした。
 そこは、庭の左側を通る、学校にある渡り廊下みたいな通路だった。

「ほら、そこって、回廊っていうの?屋根がついた渡り廊下みたいなの。
 そうそう。本堂の左側。
 確か、あの時は民宿から軽トラっていうの?ちっちゃなトラック…。
 その荷台に乗っていったのよ。水が出てるからって。
 でもさ。あの雨の中でしょ。もぉびしょ濡れでさー。
 でもって、軽トラが着いたところが竹藪みたいなとこで。
 なんなの、ここ?って思ってたら、回廊が見えてさ。
 なんだ、結構立派なお寺じゃないって、ちょっとホッとしたのよね。
 へぇー、今でもあるんだ。あれ……。」

 そこを見たのは、その渡り廊下みたいな通路に明かりが灯ってたからだろう。
 電球がそのままぶら下がってるような、赤味を帯びた明かりは頼りなかったけど、それでもそこではそれだけが人工の光だった。
 ただ、その明かりのせいだろう。学校の渡り廊下みたいな通路の向こう側は真っ暗で、それはちょっと怖かった。
 暗いのに目が慣れてきたからだろうか。渡り廊下みたいな通路の先にもう一つ建物があるのに気がついたのはそんな時だった。
 ただ、それは誰もいないのか真っ暗で。空も庭もお寺の門の屋根も塀も全部暗いというのに、その建物はさらに真っ黒く見えた。

「えっ。あんた、今、大丈夫なのよね?」
「うん。今は自由時間だから…。」
「違うって!そういうことじゃない。
 あんた自身が大丈夫か?って聞いたのっ。」
「え、どういうこと?」
「あんたって、ほら…。だから、えーと、×××××……。」
「え?なに?最後の方、なに言ってるかよく聞こえない。」
「あー、もぉなんかめんどくさいわね。
 とにかくさ、大丈夫なんでしょ。何ともないのよね?」
「だから、大丈夫って何がよぉー。全然普通。いつも通りよ。」
「じゃぁ言うけどさ。ほら、あんたって昔から怖がりだったじゃない?」
「えぇー、なに言ってんのよぉ。そんな話ならもぉ切るよ。」
 ったく、母親というのは…
 なんでそんなことをこの場面で心配するんだろう。
「あれってさ、その時ことが原因じゃないかって思うのよ。
 ほら。あんた、本堂の仏像が怖いって、一人で入口のとこにいたじゃない?
 あそこからだと、ほら、さっき言った回廊がよく見えるでしょ?」
「あー、だから、今そこ。そこで電話してんのよ。
 雨強くってさー。そう、思いだした。
 そう、そうだった。小2の時、確かにここ、来た。
 そうそう、そうよ。だからだー。
 わたしさ、駅降りた時からずっと前に来たことがある気がしてて…。
 でも、なんでだろ?来たこと、全然忘れちゃっててさー。」
 ついさっきまで、あんなにあーでもない、こーでもないってやってたのに。
 今は、小2の時にここに来たことをアッサリ思いだしていた。
 うん、そう。アッサリというのは、忘れていたそれをやっと思いだしたというのに、わたし自身が意外にアッサリしていた、という意味もある。

「あー、だから。あぁそうか、そうなんだね。
 やっぱり、全然憶えてなかったんだ。あん時のこと…。
 あまり憶えてないようだとは思ってたんだけどねー。
 そう。でもさ、あんたって、今、回廊にいるのよね?
 この電話って、その回廊のとこで話してるのよね?
 で?だから、別に何ともないんでしょ?大丈夫なんでしょ?
 あー、よかった。
 いや、妙臨寺だっていうからさ。もぉ心配したのよー。」
「あのね。わたしだっていつまでも子供じゃないんだから…。」
「そう、そうよね。あー、でも、よかった。
 でもさ。あんた、あの時って、ずっと一人で本堂の入り口のとこにいたじゃない。
 でも、いきなりすんごい悲鳴あげてさ。
 わんわん泣きながら、本堂にいたわたしたちのとこに逃げてきたのよ。
 わたしもおとうさんも、あと他の人も、もぉびっくりしちゃってさ。
 どうしたんだ?って言っても、もぉわんわん泣き叫んでるばかりでさ。
 何なのか全然わかんないのよ。
 で、あんた、やっと話しだしたと思ったらさ。
 女のお化けが、回廊をこっちに歩いてきたって……。」
「え…。」
 
 なんの建物なんだろう?
 わたしは学校の渡り廊下みたいな通路を行った先にある、その真っ黒に見える建物に目を凝らしていた。
 でも、暗くてよくわからないから。わたしは、本堂の入り口のとこを立ち上がって。縁側みたいなところを1歩、2歩、そっちの方に近寄った。
 すると、その建物が渡り廊下みたいな通路に面しているところの戸が開いたのが見えたのだ。
 雨は相変わらず強く降っていて、ゴーッとすごい雨音だった。
 だから、戸が開く音が聞こえなくても変じゃない。変じゃないんだけど、でもそのふわっと開いた感じはなんか変だった。
 というよりは、真っ黒に見える建物の戸が開いても、中はやっぱり真っ暗で。なのに、なんで戸が開いたのが見えたんだろうと変に思ったのだ。
 わたしは、その縁側のようなところから身を乗り出すようにそこに目を凝らしていた。雨で濡れるのもいとわずに。

 なぜなのだろう?
 その時、わたしは視線を真っ黒に見える建物から、ふっと渡り廊下みたいな通路へと走らせた。それは、あの真っ黒に見える建物からその渡り廊下みたいな通路に沿って、ずーっと今わたしがいる本堂まで。
 真っ暗な空に滲むように伸びている屋根のシルエット。その下、ところどころにぽつん、ぽつんと小さな明かりの灯るその通路を。
 でも、すぐにまた目を真っ黒に見える建物に戻したのは、視界の端に何か動いているものを見止めたからだった。
 そう。それは、ちょうど、あの開いた戸を出て歩き出したところだった。
 ドンドン、ドンドン、ドンドン…
 ううん。この雨だもん。足音なんて聞こえるわけない。
 でも、その歩く様はほんとそんな音が聞こえてきそうで。
 それは、真っ白い着物を着た女の人。
 バサバサに伸ばした長い髪の毛が顔にかかるのなんか、全然気がつかないみたいに、ドンドン、ドンドン、ドンドン…
 肩を揺らしながら早足で、あっという間に渡り廊下みたいな通路をこっちまで来たと思ったら。
 わたしがいる本堂の手前で、急にポンッと地面に降りた。
 …!
 やっぱり、ドンドン、ドンドン、ドンドン。
 肩を揺らしながら、こっちに向かって歩いてくる。
 わたしは、その女の人から全然目を離せないというのに。そのバサバサにかかる髪の毛の下の目は真っ黒でぽかーんとしていて、まるでわたしのことなんか全く見てないよう。
 なのに、何でその女の人はこっちに来るのだろう。
 今、わたしのいる方に真っ直ぐ。
 肩を揺らしながら早足で、ドンドン、ドンドン、ドンドン、ドンドン!

「で、あんた、やっと話しだしたと思ったらさ。
 女のお化けが、回廊をこっちに歩いてきたって……。」
「え…。」
 思わず視線を上げると、そこは回廊が伸びる真正面。
 その暗がりにパッと。
 いきなり現れた、真っ白い着物の女の人。
 それは、バサバサと長い髪の毛が顔にかかるのも厭わずに。
 ドンドン、ドンドン、ドンドンこっちに向かって歩いてくる。
 摺り足のような歩き方なのに肩を揺らし、腰の辺りが勢いよく交互動いてるその様は、ここまで衣擦れの音が聞こえてきそう。
 ううん。そんなこと、思ってる間もない。
 ドンドン、ドンドン歩いてくるその女は、あっという間に渡り廊下みたいな通路をこっちまで。
「っ!」
 バーンと女の姿が目の前にいると思った瞬間だった。それは、わたしがいるほんの手前で直角に曲がり、ポンっと地面に降りる。
 その後姿は、やっぱり、ドンドン、ドンドン、ドンドン…
 肩を揺らしながら摺り足で、ドンドン、ドンドン。さらに、雨の降る暗い庭にすーっと……
「……。」
 気づけば、そこにはザーッと雨音が続く、お寺の暗い庭しかなかった。

「っ…。」
 ふいに後ろでした、息を呑む音にビクッと振り返ると。それは、目を真ん丸に見開いて座り込んだD子さんの姿。
 さらに見れば、D子さんの後ろにはA沢クンやC瀬さん、さらに他にも何人か。
 みんなの顔は、一様にD子さんと同じ。ううん。同じじゃない。よくよく見れば、口をポカーンと開けたままだったり、わなわなと震えていたり。
 その時だった。ストンと、崩れるように。A沢クンが床にお尻を落としたのは……


 弟の話すその長い話は、どうやらやっと終わったらしかった。
「ふーん。時を経て、偶然同じ場所に泊まっちゃったと…。
 うん。まぁそういうことってあるもんなんだねー。
 で、結局、なに?
 その女の幽霊は、その場所に何か因縁があるってことだったの?」
「と、思うでしょ?それがさ、帰って聞いたらさ。
 妙臨時じゃなかったんだって。明倫寺だったんだって。」
「……。
 え。どういうこと!?」


                 
                    ―― 『姉弟掛け合い怪談:その19』〈つづく〉

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2017
05.28

階段には踊り場が付きものなわけで…


 ま、つまり、そういうことですね。

 階段に踊り場が付きものなように、怪談にもお休みが必要と(笑)

 いえいえ。
 いいとこまで追い込んだんです。
 
 でも、書いたのを、即、載っけちゃうのはねぇ…
 さすがに、一晩か二晩寝かせて読み返さないとコワいなーと(怪談だけにwww)

 ていうか、“踊り場が付きもの”ってキーボードパコパコしたつもりだったのに、
 “踊り場が憑き物”って、コワすぎです(笑)

 このパソコン、おかしいんじゃないかって。
 はぁ…。ここまで染まりたくないよなーとか思っちゃいました(爆)



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2017
05.21

怪談:17.5.21『姉弟掛け合い怪談-その18』

 
 妙臨寺の中に入ってからも、不思議な感覚は続いていた。
 それは、やっぱり、ふわっと落ち着くようで、その反面、心のどこかがざわっとするような、そんな感じ。
 なんでそんな感覚を覚えるのかわからないのと、時々視界の中に、何かこう違和感を覚えるモノを見て…、あ、いや。それは具体的にはわからない。
 何気に見ている風景の中のソレを見て。その0.何秒か後にソレが発する違和感に気づいて、「あれ?今の…」って、慌てて視線を戻しても、もはや何を見てそう思ったのかすらわからない、みたいな。
 そう。それは、まさにZ海岸の駅を降りた時から、ずっと同じことの繰り返し。
 妙臨寺に来る道すがら、4年のD子さんに「なにボーっとしてるの?」って言われたように。事あるごとにボーっとしている自分に気づいちゃぁ、ハッとして。周りのみんなの顔を見て、ひとり苦笑いなんかして、それをごまかしていた。

 そんな中、その変な感じを起こしているものが何なのか掴めそうになったことがあった。
 ううん。本当に掴めそうになったのかはわからない。
 その時は、ちょっとそんな気がしたのだ。
 それは、講義で使わせてもらっている大広間からトイレに行こうとした時だった。
 ゼミの講義に使う部屋といってもお寺だから、そこは当然座敷だ。
 広い部屋で、そう、確か40畳とか言ってたような。
 ゼミ生は、3年4年ともに12人の計24人+先生で、その全員がゆったり座っても、半分くらいは空いている感じだった。

 実は、わたしたち女子の部屋からそこに行くまでも、ずっとそんな感じがあった。
 建物と建物をつないでいる回廊というのだろうか?周りを囲んでいるわけではないから回廊ではないのか?
 いずれにしても、屋根のある、板張りの床の建物と建物をつなぐ廊下のようなものだ。
 いや。そんなに大げさなものではない。そこは、海辺の小さな町のお寺だから、京都や鎌倉にあるような大規模なものではない。
 ただ、外を隔てているものは木の手すりだけだったから、庭がよく見えた。
 そこは、駅からここまで歩いてきた時に見た風景のように、棕櫚やソテツ、照葉樹が多くて、緑の色がやたらツヤツヤしている庭だった。

 そんな中、ゼミの講義に使う大広間のある部屋の手前に竹林…、いや、孟宗竹のような太い竹ではない。細い竹がわさわさ植わった小さな林なのだが、それを見た途端、頭の中に形にならない何かがウワーっと去来したのだ。
 その時後ろにフラッとしかけたわたしを支えたのは、たまたま後ろを歩いていたD子さんとA沢クンだった。
「お、お、お、おっと!えー。ど、どうしたの?大丈夫。」
「あ、すみません。ちょっとフラッとしちゃって…。」
 必死に笑ってごまかした。
 って、別にごまかす必要もないんだけど…。
「Bちゃん、やっぱり調子悪いんじゃない?」
「えぇー、そんな。ちょっとよろけただけだけですって。ふふふ。」
「え、調子悪いって、どうしたの、Bちゃん。
 あ、さては、もうハラ減ったとか?
 ダメだってー。さっき昼メシ食ったばかりだろ。アハハ。」
「ち、違う…。もぉぉ。」
「Bちゃんはガタイがいいからなー。
 他の人より燃費わるいんだろうね。ぶぶっ。アっハハ。」
「ちょぉっと!」

 わたしは、どうも男の子からすると、からかいやすいタイプみたいで。
 それは、A沢クンの言うところの「ガタイがいいから、ちょっとくらいからかっても全然大丈夫って気がしちゃって、つい…」ってことなんだろう。
 同じ背が高くても、これでD子さんぐらい高いと、普通の男子なんかじゃちょっと見上げるくらいだから違うんだろうけど…。
 ていうか、D子さんの場合は、やっぱりあのキリッと切れ長の目がモノを言っちゃうんだろうなぁ…

 そう。そうなのだ。その時も、わたしはそれを一瞬掴みかけたと思って、その途端フラッとしちゃったもんだから、その後D子さんとA沢クンに話しかけられて、結局わからなくなってしまったのだ。
 そういう意味で言うなら、このお話の出来事というのは、まさにタイミングで起きたってことなのかもしれない。
 後になって考えてみれば、講義の最中にかかっていた、あの母からの電話に講義の後ですぐにおり返ししていれば、もしかしたら何もなかったかもしれないわけで…。
 あぁー、そうだ。
 あの時。講義の後、ケータイに母からの着信があったのに気づいた時、わたしはなんだろうと、何かちょっと変な感じがして。
 すぐ母に電話をしようと思ったのに、誰かから声をかけられて…。
 うーんと、あれは誰だったっけ?
 えぇっ。でも、あの時、あの場にいたのって…
 確か、大広間での講義が終わって。すぐ、ケータイを見たのだ。無意識に。そしたら、母からの着信があったから、わたしは立ち上がって部屋の外へ…
 うん。そこまでは確かに憶えている。そして、その後も。
 部屋の戸の所から回廊を見て、やっぱりあの不思議な感じが甦ってきて、頭の中がウワーっとなっていた時だった。
 その横、本堂に伸びている回廊の方から名前を呼ばれたのだ。
 そう。あれは、わたしの名前だった。
 わたしは、それに「え?」ってそっちを見て…
 あれ?でも、その呼ばれた名前って…
  
 さっきも言ったように、わたしは背が高いせいだからなのか何なのか、からかいやすいタイプのようで。中高生の時のクラスでも部活でも、あと大学に入ってからも、気がつくとみんな「Bちゃん」と下の名前で呼んでいるんだけど、それはゼミでも同じだった。
 それは先生も一緒で、つまりその時、ゼミのみんなや先生がわたしを呼んだのだとしたら、当然「Bちゃん」と言ったはずなんだけれど、でも、えぇぇっ?
 あの時、わたしを呼んだそれって「Bちゃん」ではなかったような…
 だからって、「B美」と呼ばれたかどうかっていうのは全然わからない。
 でも「B美」と呼んだのなら、普通はその後に「さん」とか「ちゃん」とか付くはずだ。
 というか、その時というのはわたしが最初に部屋を出たのだから、部屋を出た横から声をかけてくるとしたら、それはお寺の人のはずだ。
 そう、だって、声をかけられたのは回廊の本堂の方からなんだから、それはお寺の人のはずだ。
 でも、お寺の人だとしたら、わたしの名前なんて知らないわけで…

 しかし、わたしって、ホンっト話がヘタだなぁ…
 変な感じを起こしているものが何なのか掴めそうになった時のことを話してるつもりが、いつの間にか、その前にもあった同じような時のことを話していて。
 それを話しているつもりだったのに、またいつの間にか、母からの着信に気がついた時のことを話している。
 そう、だから、話は、変な感じを起こしているものが何なのか掴めそうになった時のことに戻るわけだけど、考えてみれば、それはもうすでに話したようなものだ。
 つまり、わたしが、講義で使わせてもらっている大広間からトイレに行こうとした時。
 それは、午後のゼミの講義…、講義といっても、みんながそれぞれの研究テーマについて話したのを先生やみんなが質問したりアドバイスしたり。はたまたツッコんだりみたいな感じなのだが、そんな中、トイレに行こうとした時だった。
 みんなの声が喧々諤々聞こえるのを背に、あの大広間の使ってないスペースの畳の上をなんとなくボーっとして歩いて、出入り口の戸のところまで…。

 出入り口の引き戸は、最初から開けっ放しだった。
 部屋にエアコンは付いていたが、でも海風なのだろう。窓と出入り口の戸を開けっ放しにしておくと、いい風が通り抜けるのでエアコンなんか全く必要なかった。
 広すぎて使いきれない、そんな大広間の畳の上を歩きながら、その出入り口の向こう。そこは、回廊の屋根で一瞬だけ暗いのだけれど、でもその向こうにある庭に植わってる棕櫚やらソテツやら照葉樹といった葉っぱに反射した緑がかった光に溢れていて、わたしは歩きながら、思わず伸びをしていた。
 そんなわたしが大広間から回廊に出た、その時だった。
 外があまりに明るいから暗く感じてしまう回廊の左側。そこは回廊の右側とは違って、細い竹がわさわさ植わった竹林になっている。
 お寺の庭に棕櫚やソテツが植わってるというのはエキゾチックに感じてしまうわたしからすれば、それはいかにもお寺らしく見える光景だった。
 そこに、先ほどはなかった白い軽トラックが停まっていたのだ。
「え…。」
 わさわさと密集して植わってる竹林。その中に鼻を突っ込むように停まっている白い軽トラックを見た途端、思わずハッとしたのだ。
 大広間に入る前と同じように頭の中がウワーっと、形にならない何かでいっぱいになって。
 あれ?そう。わたし、こんな風景、前にも見たことある…
 ううん。違う、違う。
 見たっていうより、わたし、ここ、来たことあるような…
 えぇ!?でも、そんなことあるわけないよね。
 Z海岸なんて、ていうか、わたし、Q県はおろか、関東の南の方って東京くらいしか行ったことないもん。
 でも、この風景…、竹林、それもこんな細い竹が植わったところに白い軽トラックが停まってるのを、間違いなく前に見たことある…
 そう!そうだ…。
 やっぱり、あの時も、こんな風に回廊みたいなとこから見たんだ。
 左側に竹林があって、軽トラックがこんな風に停めてあって…
 回廊の廊下が右の方に斜めに曲がっていて…
 あっ、そう。確か、雨が降ってたんじゃなかったっけ?
 それもかなり強く…
 わたしはこんな風に、回廊から雨を見ていて…
 確か、もっと暗かったような…
 雨が降ってたからかなぁ…
 でも、もっと暗かったような…
 そうか。夜だったのかも…
 夜で、雨が降ってって、こんな風に回廊をボーっと見ていたのよ。
 そしたら…
 あれ?何だっけ
 うわっ!何だろ?これって…
 きゃっ…
 気持ち悪い――。

「お、おい。大丈夫かよ。おい!Bちゃん。おい!」
「え…。」
 見上げたそこにあったのは、ゼミの幹事のC瀬さんの顔。
「何だよ、大丈夫か?
 歩いてたら、いきなりしゃがみこんじゃったのが見えたから、びっくりしたよ。
 どうしたんだ?立ちくらみか何かか?」
「え…、あぁ。えーと…。うん、だから、その…。」
「なんだよ。全然いつも通りじゃん。おどかすなよー。
 Bちゃんはさ。デカくて元気なとこが取り柄なんだからよー。
 もぉ頼むぜ!ハハハッ。」
「ちょ、ちょっと、C瀬さん。
 デカくて元気なとこが取り柄って、なんかそれじゃぁ――。」
「まぁまぁ、まぁまぁ。ハハハッ。
 いいじゃん。いいじゃん。そういうのは、人それぞれなんだからさ。
 持ち味、持ち味。ハハハッ。」
「もぉー。なにが持ち味ですかぁー。」
「ハハハッ。」
 笑いながら部屋の方に歩き出したC瀬さん。それを、くるっと回るように見送っていた時だった。
「そう。C瀬さん。」
「あぁん?」
 足を止め、わたしに振り返ったC瀬さんの顔。それは、こう言っちゃなんだけど、ちょっと間の抜けた変な顔で、当時、わたしはC瀬さんのその顔が妙に好きだった。
「わたし、駅に着いた時、C瀬さんに言ったじゃないですかー。
 このZ海岸に来たの、初めてだって。」
「あぁ、うん。そういえばそんなこと言ってたかも…。」
「何ですか、それぇ。
 それじゃぁわたしの話、ちゃんと聞いてないみたいじゃないですかぁ。」
「あぁ、だから聞いてたって。ちゃんと。ハハハッ。
 ていうかさ。あの時って、確か、そう。
 同じ関東なのに南にあるQ県の海は来たことないって、言ってたんじゃなかったっけ?」
「だから…。もぉっ。
 大体ですよ、大体。大体、そういうこと言ったんですっ。」
「ハハハッ。なるほど。うん。まぁそれで?」
「あ、だからぁ。ここ、ここなんですよ。」
「ここぉ?ここって…、えぇっ。ここのことか?」
 おもむろに顔を上げて、回廊の屋根に沿って視線を這わせているC瀬さんの横顔。わたしはそれを見ながら、同じように上を見上げた。
「そう。そうなんですよ。
 この回廊を見てたら、思いだしたんですよ。
 わたし、ここに来たことあるって…。」
「はぁ?なんだそれ!?ハハハッ。」
「だから、この回廊から見た風景に記憶があるんですって。
 この竹林にも、そこに停まってる軽トラックにも。
 あと、この回廊がここから見て右に曲がってる感じとかも…。」
「そうなんだ。ふーん!?」
「だから、ホントですって。見覚えあるんですって。ホントに…。」
「うーん。でも、それはどうだろう…。
 あ、いや。ハハハッ。だからさ。
 別にBちゃんの記憶にイチャモンつけるわけじゃないけどさ。
 寺に竹林は付きものだし、回廊だって普通にあるんじゃない?
 変な話、この回廊ってオレの家の菩提寺にあるヤツにソックリだぜ。
 ていうかさ。実は、今トイレ行ってきてさ。
 しっかし似てるなーなんて思いながら歩いてたくらいでさ。
 軽トラだって、寺は庭の手入れとかいろいろ作業があるから、
 大体どこにでもあるんじゃない。」
「うーん、そう言われてみればそうなんですけどねぇ…。」
「うん。まぁさ。
 オレは、別にBちゃんがここに来たことがあろうがなかろうが、
 どっちでもいいんだけどさ。」
「ちょっと、何ですか。その言い方ぁ。
 まるで全然どうでもいいみたいじゃないですかぁー。」
「あぁ。だから、別にオレはBちゃんの記憶にイチャモンつけてるわけじゃないんだって。
 ハハハッ。
 Bちゃんがさ。ここに来たことあるって気がついて、もぉビックリしちゃって。
 驚きのあまり、つい気絶しかけたみたいだから、いやー、そんなことないんだよって。
 優ぁ~しく諭してるわけで…。」
「なんなんですかー、もぉー。
 人のこと、まるで子供みたいに…。」
「ハハハッ。まぁまぁ。
 だからさ、既視感なんてそんなもんだって。」
「え?あ、既視感…。」
「あ、?知らない?
 ほら、よくデジャブとか言うじゃん。既に見た感じって書くの…。
 見てる風景とかいろんなもんを、頭が勝手に過去の記憶と結び付けちゃってさ。
 そこに来たことあるって思ったりしちゃうんだって…。」
 
 人というのは、そこに何かしら納得出来ちゃう言葉なり、説明なりがありさえすればそれで安心して、そこで考えるのを止めてしまうということなのだろう。
 今になって思えば、あの時わたしは、その既視感というもっともらしい言葉で自分を無理やり納得させてしまったのだろう。
 というよりは、無理にでも納得してしまいたかったということなのか。
 そう。だって、それがあまりに怖かったから…
                                            
 

                   ―― 『姉弟掛け合い怪談:その18』〈つづく〉


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 *のらない時、話をやたら込み入らせてごまかすのは、うーん。困ったものだ(爆)



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