2017
04.22

怪談:17.4.22『姉弟掛け合い怪談-その14』


 その後、オレたちは観光に出かけ、Q旅館には夕方に戻った。
 再び、宿のおじさんとおばさんの愛想のいい笑顔に出迎えられたオレたちは、まずは風呂にのんびり。さらにうまい食事と、ゆっくり楽しんだ。

 宿に戻ってきた時は、やっぱり疲れていたのだろう。オレもみんなも、ちょっととろーんとしていた。でも、風呂入って夕飯食べてゆっくりしたら、いつもの調子に戻った。
 そんなわけで、食事の後は、彼女たち2人もオレたちの部屋に来て、4人でずっとおしゃべりをしていた。
 そんな楽しい時間が終わったのは、0時をとうに過ぎた頃だった。
 2人の女の子の声が聞こえなくなった部屋はガラーンとしちゃって。やけにうら寂しかった。


「あぁーあ…。
 オレたちも寝るか?」
 さすがに眠くなっていた。
 誘うように歯磨きとトイレに行ったオレとN原。でも、部屋に戻ってきて、初めて部屋のそのひどいニオイに気がついた。
 窓をずっと締め切っていたからだろう。煙草の匂い、ビールの匂い、つまみの匂い。その他なんだかわからないが、とにかく部屋は匂いで充満していた。
「こんなとこで寝たら、髪の毛とかに匂い付いちまうぜ。」
「いや、もぉそれ以前。オレ、なんか気持ち悪くなってきた。」
 ただ、5月とはいえ、この夜中に窓を開けたらさすがに寒そうな気がして。とりあえず、部屋の出入口の引き戸を開けておくことにした。

 前にも話したように、この部屋は廊下の突き当りにあった。
 出入口の引き戸を開けてしまうと、部屋の中が丸見えなのだが、まぁこんな時間だ。他のお客は寝ちまったろうって。
 それに、どうせオレたち男2人しかいない部屋。別に誰に見られたところで、どうってこともないって思ったのだ。
 今になって思えば、それは間違いだったのだろう。

 歯を磨きに行く前はとにかく眠かったのだが、部屋に戻ってきたら眠気が覚めてしまったみたいで。
 それに、戸を開けっ放しで寝てしまうわけにもいかない。
 そんなわけで、オレたちは布団をひくのに出入口の前に寄せたテーブルの両脇になんとなーく座っていて。
 そんな風に、なんとなーく座ってしまえば、あとはなんとなーく煙草に火を点けて。
 結局、なんとなーく、またおしゃべりをしていた。

 廊下から入ってくるひんやりした空気で、背中が妙に気持ちよかった。
 一方、オレと向かい合わせに座っていたN原。オレと話しながらも、ぼーっとドアの外に視線を向けている。
「どうしたぁ?」
「うん…。なんだか目が回るみたいっていうかさ。
 しっかしすごい廊下だよな。オレやオマエの家じゃ考えらんない。」
「あぁーぁ…。」
 オレはそう言って振り向くと。
 その途端、ストーンと真っ直ぐ目に飛び込んできた、廊下のあの光景。
 それは、中心に向って収縮していく床と天井の4隅の線。
 さらに、鴨居や転々と連なる各部屋の戸や柱……
 昼でも外の光がほとんど入らないその廊下は、夜になっても雰囲気はあまり変わらない。
 それでも、夜になって…、そう、薄暗くなった…、と言ったらいいのか?
 ただ、明かりが点いた分、昼間よりは明るいような気もするのだが…。
 そう。天井に点々と並ぶ赤っぽい明かりに照らされ、飴色めいた黒が濃さを増したのだろう。
 あと、影になる部分が仄暗くなった分、柱や梁を浮き立たせていたというのもあるのかもしれない。
「なんだろ?昼間より目が回る気がする。」
「しっかし、スゴイよな。そのうち重要文化財とかになったりして。」
「まぁよ。そん時はみんなに自慢しようぜ。
 ヘっヘー、重要文化財に泊まっちまったんだぜーってさ。」
 それにしても、ついさっきはあんなに眠かったのに。今は眠くなるどころか、ますます目が冴えていた。


 それにしてもこの旅館の中も、そして外も、ホっント何の音も聞こえない。
 ここは山の中だから、夜になって風の音でもしそうなものだが、それすらなかった。
 まるでこの旅館全部のシーンという音が、この部屋に集まってきたようで。その静けさが逆に耳に纏わりついてきて、気がつけばオレもN原も言葉が止っていた。
 2人とも、ただただ煙草をふかして…
 そんな時だった。

「あれっ!?」
「うっ。
 な、なんだよ。いきなり…。」
 この深閑とした空気の中だ。いきなり聞こえた声に、目をパチクリさせながらその顔を見ると。
「うん。いや、今さ…。」
「…?」
「うん。今、誰か通った…。」
「はぃぃぃ?
 誰かぁ~って、誰っ!?」
 N原の目が、オレのずっと後ろで止っているのを見て。つられて振り返ると、ストーンと伸びた廊下が。
 その手前から、一気に奥の突き当たり進んでいくオレの視線。
 しっかしまぁ。なんでこんなに静かなんだろう…
 天井の明かりが点々点々…と小さくなってく分、昼見た時よりもさらに奥深くなったような。
 その奥の奥。突き当たりの天井には例の非常口の緑色のランプがあるのだが、そのやけに現代的な色が、逆にこの廊下では幻想的に見える。

「お、おい。どうしちゃったんだよ?」
 廊下を奥からこちら、そして部屋へとやっと戻ってきたオレの目。
 なのに、まだ廊下のどこかで止まったままのN原の目。
「ほら、あそこ…。
 突き当たりのとこに、非常口の緑色のランプがぶら下がってんだろ。
 今さ、あの前を誰か通ったんだよ…。」
「えぇぇ?」
 思わず、また振り返ってみても、そこにまっすぐなあの廊下だけで。
「誰かが通ったみたいにさ、あの緑色のランプが一瞬翳ったんだよ。
 右から左にさ…。」
 そうは言っても、廊下はほの暗く静まり返っているばかり。人の気配なんて微塵もない。
「あぁ、中の蛍光灯が切れかかってんじゃねーの?
 だってさ、あそこはこっちの廊下から行っても、
 向こうの廊下から行っても突き当たりなんだぜ。
 そこを右から左に通り過ぎるなんて出来るわけないだろ。
 中の蛍光灯が一瞬切れてさ、そう見えたんだって…。」
 ここは旅館。こんな時間でも客がトイレに行くことはあるだろう。
 でも、あの場所は突き当たり。もし、人が前を通ることでランプが右から左に翳ったんだとしたら、N原はこの真っ直の廊下のどこかで人の姿を見ているはずだった。

「うぅーん、そうだよなぁ…。
 右から左に行ったら、壁にぶつかるしかないもんな。
 でも、ヘンだなぁー。
 確かに誰か通ったように見えたんだよなー。」
 まだ、しきりと首を傾げてるN原。だから、オレはそんなN原の疑問を吹っ切るように言った。
「そんなことよりよ。オレ、完全に眠気が覚めちまったよー。
 そうだ。ビールって、もう残ってなかったっけ?」 
 テーブルの上に並んでいるビールの缶を探り始めると、幸いまだ空けてない缶が1本残っていた。
「へへヘ。あったぜ、ラッキー。」
 オレは、ビールの缶を顔の横で振って。N原におどけてみせてからプルタブに指をかけた。
 プシュっ。
 それは、なんだか久しぶりに聞いた現実の音のようで…。
 それはN原も同じだったのだろう。
「今のプシュって音…。
 なんだかさ。オレ、それ聞いた瞬間、妙にホッとした。ハハハ…。」
 その疲れたような苦笑い。
 そんなN原はさらに何か言おうとしたのか。口を開きかけ…、でもその瞬間、いきなり表情が豹変した。
「えっ!えっ?えぇーっ!?」
 いきなり変わったN原の顔と切迫した声。驚いたオレは、危うくビールに咽るところだった。が、それがまたN原が非常口の蛍光灯が切れて瞬いたのを、人が通ったと勘違いしたんだと気づいた。

「だっからさー。あの非常口のランプ。
 きっと蛍光灯が古くて切れかかってるんだって。
 ほら、この旅館古いだろ?
 だからさ、あの非常口のランプも、
 江戸時代からずっと使ってるんだって。ハハハっ。」
 オレはそんなバカを言ったものの。それでもN原の表情が表情だけに、無意識に廊下を振り返っていた。
 でも、そこは、やっぱりあの廊下が黒く伸びているだけで…。

「だってさ、オマエ。あの非常口のランプの前を横切るってさ。
 アレは、天井のすぐ下にぶら下がってるんだぜ。
 そんなデカイ奴いるかよ?」
「あ…。
 そっか。そう言われてみればそうだよな…。」
 やっと腑に落ちたって顔になったN原。
「あの前を通ってアレが翳るくらいデカイ奴って…。
 うん。まぁいねぇこともねぇだろうけど…、まぁジャイアント馬場とかぁ?ハハハっ。
 でも、普通いねぇよな。」
「確かにそうだよな。ハハハ。」
「そうだよ、オマエ!ジャイアント馬場が泊まってたら、
 宿のあのおじさん、絶対教えてくれはずだって。そうだろ?」
「だーから。ジャイアント馬場が泊まってるわけねーだろ。
 ハハハ。でも、変だなぁ…。
 さっきはさ、右から左に翳ったように見えてさ。
 今度は、左から右に翳ったように見えたんだよ。」
「だーから、もーいいじゃん。
 そんなことよりよぉ、オレ、今さら気がついたんだけどさ。
 明日って、どうすんだ?
 さっきは、4人でバカやってて、あんまり楽しかったもんだから、
 スッパリ忘れちまってたけどさ…。」
 今日のオレたちは、ホントに行き当たりばったりでここまで来ちゃって。そのくせ、意外なくらいうまくいったのだが…。
 いや。もちろん明日もそれでいいというならそれまでなのだが。でも、何か適当な案があれば、出足で無駄な時間を使わなくてすむ。

「あっ…。
 そうか。そういえばそうだよな…。
 なんだよM岡ぁ。オマエ、今日は何だかやけに冴えてんじゃん。」
「夜中に人のことおだてて、小バカにしてんじゃないのっ。」
「そういえばさ。下にロープウェイのポスターが貼ってあったぜ。
 あれ、すっげーいい景色だったし。しかも、ここの近くみたいだったけど…。」
「ロープウェイ?あ、いいじゃん、それ!
 あとさ、せっかく旅行に来たんだしよ。明日は温泉に泊まんねぇ?なぁー。」
「うん、うん。温泉!温泉!それ、絶対いい。
 M岡ぁ。ますます冴えてんじゃん、オマエ。ハハッ…。
 そう。確か貰ってきたパンフレットに載ってたはずだけど…。」
 そう言って、バッグをゴソゴソ探り始めたN原。パンフレットを引っ張り出すと、テーブルの上に広げようとして……、その手がふっと止まった。
 見れば、また廊下の方を見ているN原。
 やっぱり、つられてオレも廊下を振り返った。
 でも、それはチラッと目を走らせただけ。すぐにN原の顔に視線を戻して言った。
 そう。その時のオレは、ちょっとイラついた声で言ったと思う。
「なんだよ。またかよー。
 だから、蛍光灯が切れ──」
「ハハハ。わりぃわりぃ。目ぇ、疲れてんのかなぁ…。
 でも今日ってさ、ほとんどオマエが運転してたよなぁ…。
 うん。でさー。
 あっほら、載ってんじゃん。ロープウェイ。な、景色いいだろ?
 ふーん…。上がったとこにホテルがあるんだな。」
「ロープウェイで、上がったとこにホテル?
 あ、それって、こないだテレビやってなかったか?
 うん。あれ、すっげー景色よかった。
 おい!行こうぜ、行こうぜ。明日、絶対!」
 でも、それは夢だった。


「うん。あれ、すっげー景色よかった。
 おい!行こ──。」
「ヤバイっ!」
「え…。」
 いきなりのN原のうわずった声に、その顔を見直したオレ。
「こっちに来るっ!」
 その顔が悲鳴のような声を発して。
 え!と思った時には、もぉ飛び上がるように立ち上がっていたN原。
 でも、オレは何が何だかわからなくて、ただただポカーン。
「え?え?え?な、何?」
 その間、オレの目は、ずっとN原の目に吸いつけられていた。
 でも、尋常でなく見開かれた目の玉が、オレのことなんかまったく見てないことに気がついて。
 やっと、それが後ろらしいと振り返ったオレは、開けっ放しの戸の先にある廊下へと視線を走らしていく。
 後ろで、N原が「早く戸ぉ閉めろ!」と叫んでいたのは聞こえていた。
 が、オレの目は、またもやあのズーンと伸びた廊下に吸いつけられてしまったのだ。
 だって、そこは、ついいましがた見た廊下とは何かが違っているから…
 え…
 廊下のずっと向こう。非常口のランプの下に誰かが立っていて…
 するするする…
 するするする…
 少しずつ、少しずつ。
 廊下の右の端を。かと思えば、今度は左の端を。
 そう。それは、こっちに向かってくる。
 それは、まるでこちらに来るほど広がっていく廊下の線に合わせるように。こちらに近づいてくるにしたがって、徐々に大きく姿を成してきて……

 なんだ、あれぇ!?
 あ、そうか。宿の余興ってこと?
 その瞬間、こんな真夜中に宿の余興なんてあるわけないことに気がついたオレの頭。
 でも、こちらに歩いてくるアレが宿の余興じゃないっていうんなら…
 じゃぁいったい何だっていうんだよ!
 だって、アレは頭には兜、その下は鎧で身を固めて。
 右手には刀身が3本、放射状に突き出した刀。
 それを持った右手を、頭の高さで振りかざして。
 するするする…
 するするする…
 こっちに向かって歩いてくる!

 オレは、その時悲鳴をあげたのか、叫んだのか。そんなことは全く憶えていない。
 憶えているのは、そんなオレの視界にいきなりN原が飛び込んできて。
 開けっ放しだった戸を飛びつくようにして閉め、さらに鍵をかけたこと。
 そのN原の手はオレの手をつかむと。オレは、そのまま引きずられるように部屋の隅へ。
 辺りがいきなり暗くなったと思ったら、その直前にパツン、パツンと、N原が蛍光灯を消していたのを思い出した。
 そう。気がついた時には、オレはN原と2人、布団を被って震えていたのだ。
 たぶん、真っ暗になった部屋の隅で……


 カチカチカチカチカチ…
 ふっと、自分の歯がずっと鳴っていたことに気がつけば…
 それ以外は何の音もない、真っ暗な空間。
 そんな中で、布団を被って震えているオレとN原。
 二人とも、そうやって抱き合って感じられるお互いの体の感触だけが頼りだった。
「な、な、な、な、何、何なん──。」
「しーっ!」
 耳元で聞こえたN原のそれもやっぱり震えていた。
「へ、へ、部屋には、は、入ってきてないはずだ。鍵閉めたから…。
 で、で、でも。も、もう少し様子みよう…。」
 N原のそんなヒソヒソ声を、かぶった布団の中で聞いた直後だった。
「っ!」
 もちろんその瞬間っていうのは、何がなんだかわからない。
 いきなり、かぶっていた布団が暴力的な力で引き剥がされたのだ。
 何が起きたのかと周りを見回しても、そこは全部真っ暗闇。感じれるのはN原の触感だけ。
 そのほんのわずかな間の後だった。
「うわぁーっ!や、やめてくれぇぇーっ!」
 いきなり耳元で上がったN原の絶叫に、たぶんオレも悲鳴をあげたんだと思う。
 と、同時に、ガツンと衝撃があって。それを感じたと思った時には、今の今まで抱き合っていたN原の体の触感がパッと消えた。
 N原の体の感触が一瞬で消えたというのに、そこは何の音もなく。ただただ、真っ黒で…。
「はぁー、はぁー、はぁー。」
 ドク、ドク、ドク…
 もはや、自分の心臓の音以外、何にも感じることが出来ない…

 廊下にいたアレへの恐怖はあったが、その瞬間はN原はどうなっちゃたんだ?って思いの方が強かった。
「お、おい…。
 お、N原。N原ったら…。おい!。」
 それは、まるで真っ暗闇が顔にべたーっと張り付いて取れなくなっちゃったようだった。
 今の今まで抱き合っていたN原の体を探そうと、夢中で両手を振り回しているオレ。
 だけど、その右手も左手も、何にも触れることはなく。
 それどころか、目の前で振り回しているはずのオレの両手すら見えない。発狂しそうな怖さに耐えられなくて、やみくもに声をあげた時だった。
「わぁぁーっ!わぁぁーっ!わ──。
 っ!うぐぐ…。」
 真っ暗な中からいきなりやってきた驚きに、断ち切られたオレの絶叫。
 でも、その直後。信じたくない触感を感じたオレは、前にも増して大きく叫んでいた。
「うぅぅわぁぁーっ!」
 それは、オレの後ろ…、頭の後ろ。
 髪の毛を、次々と毟るように引っ張っているソレの触感。
 カタカタカタカタ…。
 カタカタカタカタ…。
 たぶん、それは2つ!?
 
 カタカタカタカタ…。
 決してそんな音を聞いていたわけではない。それは音でなく、頭を這いまわる触感だった。 
 その硬質な感触と、変に不器用に感じる動きの気持ち悪さ。
 ソレはオレの後ろから、オレの髪の毛を、カタカタ、カタカタと。
 頭の上かと思えば、今度は耳の後ろ。かと思えば、後ろから顔の方にも伸びてきて。
 今度は、右耳の上の髪の毛を掻き毟り、同時に額の左側からも。
 カタカタ、カタカタと、間断なくオレの頭を掻き毟ってきて…
「うぅわぁーっ!!や、やめろぉーっ!」
 その時、オレはそれを払いのけようと、両手をむやみやたらと振り回しただけだった。
 なのにその時。こともあろうに、オレの右手はソレの一つをつかんでしまったのだ。
 ぎゅっと。
 でも、それは…
 …っ!?
 骨…
 骨だった。
 この、不気味な細さ。そして、ひんやりした硬さ。
 今、オレの右手がつかんでいるモノ。それは骨だった。
 ほ、骨の手首っ!
「うぐっ!」
 な、な、なんなんだよっ、これはっ!
 オレは慌てて、それを放るように離す。
 いや、もちろん。人の手首の骨をつかんだことなどあるわけない。
 でも、それをつかんだ瞬間、オレは右手に伝わってきたその触感でそれが骨の手首だとわかった。
 その信じがたい細さときたら…
 
 つかんだそれが右腕だったのか、左腕だったのかは知らない。
 でも、オレがそれをつかんだ時も、もう片っ方の手はオレの髪の毛を掻き毟るのをやめなかった。
 カタカタ、カタカタ…。
 オレの頭をやたら掻き毟っていた。 
 その意味不明な恐ろしさ…
 もはや、骨をつかむのが気持ち悪いなんて言ってられなかった。
「うぅぅわぁぁーっ!!」
 気がつけば、オレは叫びながら両手を振り回して、必死にその2本の腕を近づけまいとしたのだが…。
 でも、今度は逆。オレの右腕は、その骨の手首の先にあるモノに、ガッチリと握られてしまったのだ。
 オレの右腕に絡みついてくる、その冷たく硬い指の骨。
 それは、あの骨の腕よりさらに不気味に細く。そして、ぎりぎりとオレの腕を締め上げてくる。
 その絶望的な怖さに、オレは暗闇すら見えなくなって…
 ガッツーン!
 そう、あの時。全身にそんな衝撃を感じたことだけは憶えている。
 でも、何があったのか?
 たぶん、アレはオレの手首をつかんだ状態のまま、オレを下に思いっきり叩きつけたんじゃないかと思うのだが……

 気がついた時には、部屋の中はすでに明るくなっていた。
 はっと、上体を起こしたそこには、座って煙草を吸っているN原の姿があった。
 


                   ―― 『姉弟掛け合い怪談:その14』〈つづく〉

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2017
04.16

怪談:17.4.16『姉弟掛け合い怪談-その13』


「古墳時代の人のユーレイかぁ…。
 イメージがさ、イマイチ湧いてこねぇんだよなぁ…。」
「えー、たまにはいいんじゃない。
 だって、ユーレイっていうとさ。
 まずは、髪の長い白いワンピースの女。次に、おかっぱ頭の少女。
 あとは、鎧着たざんばら髪の落ち武者って決まってるんだもん。
 日本のユーレイにおける三大コスプレに挑戦してるって意味で、
 かなり斬新な怪談だと思うんだけどなー。
 ぶぶっ。アッハッハ。」
「あのね。怪談はね。斬新とか、別になくていいの!
 お決まりのシチューエーションで、お決まりのヤツが出てくれば、
 それでみんな、全然OKなの!」
「あぁー、それはマニアの意見よ。
 そういうのはダメよ。わたしはキライ。」
「なにがダメなんだよー。
 娯楽なんだもん。楽しければそれでいいんだよ。
 そりゃーね。変わった珍しい話が聞きたいって、みんな言うよ。
 でもね。その“変わってて珍しい”は、
 いつもの話からは逸脱しない程度の“変わってて珍しい”でしかないんだよ。」
「なによそれ。ワケわかんない。」
「それの中の、それをさらに狭めた特定のパターンにこだわるからこそマニアなんじゃん。
 それは、別に怪談だけじゃないよ。
 マニアというのは、どんなもののマニアでもそんなもんだって。」
「あぁ…。
 そう言われてみれば、そんなもんかもねぇー。」
「へっへっへ。」
「なによ、そのエラっそうな笑い。
 ていうかさ。そのマニアたるアンタは、じゃぁどんな話がいいって言うのよ?
 マニアのマニアによるマニアのための怪談っていうの、話してみなさいよ。」
「え、いいの?ホントに?ヘヘーっ。
 じゃぁさ。これは大学ん時の友だちのK五から聞いた話。
 大学の3年の6月くらいのことだったらしいんだけどさ。
 そのK五の中学ん時からの友だちのM岡って人が、
 その頃、変に元気がないことに気がついたんだって。
 というのも、なんだか付き合いが妙に悪いんだとかでさ。
 でね。まーさ、K五っていうのは、よくも悪くも自己中心的っていうか、
 自分の基準を他の人にもあてはめちゃうとこがあってね。
 つまり、K五にとっては、元気ない=女にフラれた、なわけ。
 だから、まー、K五からすれば純粋に親切なんだけどね。ハハハ。
 そのM岡クンを合コンに誘ったわけよ。
 ところが、そのM岡クンが断っちゃったもんだから――。」
「あー、怒りだしちゃったんだ。」
「そう、それ。」
「いるよねー、そういう人。ふふふ。」
「ま、本人はそうは言わなかったけどさ。
 でも、たぶんそのM岡クンってさ。
 K五から、せっかくオレがお膳立てした合コンを断ったことで、
 オレはオマエにこんなにも傷つけられたんだってさ。
 ネチネチと延々文句を言われたんだと思うんだ。
 いやさ、K五ってそういうヤツなのよ。アハハ。
 まー、わるいヤツじゃないんだけどねー。
 だからさ、そのM岡クン。
 K五を宥めるのに、この話、仕方なくしたんじゃないかって……。」
 

 あの日、オレたち4人が古い町並みで有名なQ町に行ったのは、ホントたまたまだった。
 Q町って、もちろん名前くらいは聞いたことはあった。その古い町並みをテレビか何かで見たことだってあったかもしれない。
 ただ、そこに行きたいと特に思ったことはなかった。
 それは、一緒に旅行に行った3人も同じだったと思う。
 
 その旅行の日。
 オレとN原、さらにそれぞれの彼女という4人が乗ったクルマは、高速道路をずっと走っていた。
 というのは、どこに行くかまだ決まってなかったからだ。
 旅行に行くのに目的地が決まってないって、そんなことあるのかと思うかもしれないがその時は本当にそうだった。
 そう。そういえば、そんな当日になっても目的地が決まってない旅行にオレたち4人が行くことになったのも、ホントたまたまだった。

 その何週間か前、4人で居酒屋で飲んでいた時だった。
 「旅行に行きたい」と最初に言ったのって、誰だったのだろう?全く思い出せない。
 その「旅行に行きたい」って話は、いつの間にか「いつ行きたい?」って話になって。
 やっぱり、誰だったか憶えてない誰かが「今度のゴールデンウィーク、空いてるけど」と言うと、たまたま全員空いていた。
 急にテンションが上がったオレたちは、その瞬間ゴールデンウィークにクルマで旅行に行くことが決まっていた。
 そのくせ、具体的にどこに行こうという話にはならなかった。

 でも、まさか行くその日クルマに4人が乗り込んだ時点でも、行き先が決まってないとは思ってもみなかった。
 当日の朝、4人が集まったら、オレもみんなもとにかく楽しくって。いつものごとくしゃべったり笑ったりしていたのだが、クルマに乗り込んで、やっとそのことに気がついたのだ。
 「あれ?今日って、どこに行くんだっけ!?」って。
 あの時っていうのはオレたち4人、思わずきょとんと顔を見合わせて。
 でも、その一瞬後、オレたち4人はクルマの中で、それこそ腹を抱えるようにして笑っていた。
 そんな、5月の朝だというのに夏のような色鮮やかな日の光が差し込んでいたクルマの中。
 オレたちは、旅行に行くっていうのにクルマを1センチも動かすことなく、ただただ笑い転げていた。
 そう。あの旅行は、そんな風にメチャクチャ楽しく始まったのだ。

 そんな楽しく始まったオレたち4人の旅行だったが、クルマをどこへ走らせたらいいのかさえ決まってないというのはさすがに困った。
 でも、それはN原が変な、しかし面白い案を出したことで、たちまち解決した。
 つまり、オレたち4人に、それぞれ東北道、関越道、中央道、東名と割り当てて。ジャンケンして勝った高速をとりあえず走って、その後も途中途中でジャンケンして決めるという…。
 そんなわけで、ある高速をずっと走ったオレたちだったが、サービスエリアでたまたま目に留まったパンフレットが、古い町並みで有名なQ町だったというわけだ。


 オレたちがQ町に着いたのは、お昼過ぎだった。
 まずは食事をしようってことになって。郷土料理の店でソバをすすっていたのだが、その混雑ぶりにやっと気がついたのだろう。N原が今夜泊まる所と確保しないとヤバイと言い出した。
 何気に店員のおばちゃんに聞いたら、近くに宿泊案内所があるということで、とりあえずは落ち着いて食事を終えた。
 ところが、店を出ると観光客はさっきより増えていて。
 さすがに慌てたオレたちは、もう半ば走るように宿泊案内所に向かった。
 でも、そこはお客なんて一人もいなくって。ちょっと拍子抜けした。
 というか、普通、旅行というのはあらかじめ宿泊先を決めてから来るものなんだろう。
 そんなわけで、「泊まる所を紹介してほしいんですけど」って、オレたちが入っていくと、よっぽど暇だったのだろう。ずっと小さなテレビを見ていたらしいお爺さんが慌てて応対してくれた。

「えっ!今日かい?うーん。どうだろう?今日だよねぇ…。
 それで部屋は1部屋?2部屋?
 あー、まー、アベックさん2組だもん、そりゃ2部屋だよねぇ…。」
 宿泊案内所のお爺さんはそう言いながら、何やらノートの上からずーっと指をなぞっている。
「いえ。ないならまぁ1部屋でもしょうがないんですけどー。
 でもまぁなるべく2部屋あると助かるっていうかー。
 ないと、ちょっとヤバイっていうかー。」
 ちなみに、オレたちは──少なくとも今日は──オレとN原で一部屋、彼女たちで一部屋という組み合わせで泊まるつもりでいた。
 つまり、オレもN原も彼女とはまだそんな関係ではなかったということだ。

「あっ!お兄さんたち…。」
 ノートを眺めていたお爺さんが、嬉しそうに顔を上げた。
「あ、ありました?」
「お兄さんたち、運がいいよー。
 Q旅館で、今日キャンセル出てるねー。うん。2部屋。」
「えっ、ホントですか。やった!
 おい、大丈夫、あるってよ。うん、2部屋!」
「やったーっ、ラッキー!お爺さん、さすがっ!」
 N原とオレが振り返りながらそう言うと、彼女たち2人もやっぱり手を取り合って大喜び。調子よく、宿泊案内所のお爺さんをおだてたりしてていた。

「あれ?そういえば、お兄さんたちって何で来てるの?クルマ?」
「はい。クルマですけど…。」
「うん。ならいいや。
 いやね、このQ旅館っていう旅館、ここからちょっと離れてるんだよ。
 つったってね、クルマなら5分くらいのとこなんだけどね。
 まぁクルマだってことだし…、いいよね?」 
「ええ、全然。」
「うん。じゃあさ、ちょっと待ってよねぇー。
 電話しちゃうからさー。」
 宿泊案内所のお爺さんは、まだ相手が出ない電話の受話器を耳につけたまま、顔をこっちに向けた。
「Q旅館って、ちょっと離れてんだけどね。
 でもこの辺より静かだから、かえってゆっくり出来ていいと思──。
 あ、出た。ちょっと待ってねー。」
 そう言って、今度は旅館の人となにやら話しだした。

「あれ?そういえば宿泊料金っていくらなんだっけ?」
 と、オレがN原の顔を見ると。
「うん。だから…。そういうのも含めて、
 今、お爺さんが確認してくれてんじゃねーのか?」
「あ、そういうことか…。」
 ちょうどそのタイミングだった。
「お兄さんたちさ。
 飛び込みだからおまけして、一人、一泊朝夕付きで5500円だって言ってるけど…。
 どうだい?」
 それから3分も経たなかったろう。
 オレたちは、そのQ旅館に向かってクルマを走らせていた。

 オレは旅行とかあまりする方じゃなかっから、旅館の相場なんてよくわからない。
 ただ、5500円って聞いた時は、いくらなんでも高いとは思わなかったけれど、でも特に安いとも思わなかった。
 でも、その当時5500円という宿泊料金は「まぁそんなもんだろ」っていう感じだったように思う。
 現にその時、オレ以外の3人もその料金について、特に何も言わなかった。


 宿泊案内所のお爺さんが「静かなところ」と言っていた、そのQ旅館だったが、実際、クルマを走らせると、辺りはあっという間に山々に囲まれていた。
 ただ、そこに着いて。そのQ旅館を見た時は、思わず言葉が止ってしまったのを憶えている。
 というのも、「泊まる所」というとリゾートホテルとかペンションみたいなのを想像していたオレからすると、それは時代劇のあの旅籠に近かったのだ。
 それが木造2階建で、やけにこじんまり見えるのもその印象を強くしていたのだろう。
 もっとも、オレを除く3人、特に女性2人なんかは、「なんだかいいムード」とはしゃいでもいたんだけれど。
 
 ところが…
 本当に驚いたのは、そのQ旅館の玄関の格子戸を開けた時だった。
 戸を開けた瞬間向こうにあった、その黒ずんだ色合いの深さときたら…
 そして、その飴色がかった黒の柱や天井をはしる梁の太さ…
 それは自分の家のペラペラな柱や梁をそれと思っていたオレたち4人からすれば、なんだか圧倒されるような迫力で。
「うぅっわぁぁーっ!すっごーい!」
「なんか素敵…。」
 いや。女性2人からは、やっぱり感嘆の声があがっていたのだが…。

 そんな声が聞こえたのだろう。
 大きな暖簾をひらりと翻ったかと思ったら、50代くらいのおじさんとおばさんが微笑みながら出てきた。
「あぁお待ちしてました。
 今、案内所から電話あった方ですよね?
 どうぞ、どうぞ。まずお上がりください。」
 2人とも、とにかくニコニコ笑顔で愛想がいい。
 そんな愛想のよさと、宿泊案内所の話がちゃんと通っているらしいことに、すっかり安心したオレたち4人。おじさんおばさんと世間話をしたり、圧倒されそうな室内を見回したり見上げたり。

 格子戸を開けた時も驚いたが、中に入ってさらに驚いたのは、この旅館、実はかなり奥があったことだった。
 ウナギの寝床というのか?表のこじんまりした様子とは裏腹に、階段の手前向こうに真っ直ぐな廊下がかなり奥まで伸びていて。そこは、元々あまり陽の光が入らないのか、それともこの壁や柱の黒の色が光を吸収してしまうのか、奥まで見通せない。

「お部屋、もう入れますんで、まずご案内しましょう。
 ただ、申し訳ないんですけど、
 キャンセルのお部屋なんで、二つは離れちゃっているんですよ。
 それは、大丈夫ですかねぇ?」
 その宿のおじさんの言葉を聞いて、N原が振り返った。
「うん。別にいいだろ?」
「うん。ま、いいよな?」
「申し訳ないですねぇー。
 じゃぁお部屋、ご案内しましょう。」
 宿のおじさんはそう言うと、相変らずのニコニコ顔で振り返り、振り返り、階段を上がりだした。
 つられるように階段を上るオレたち。
 何気に振り返ると、階段の下では宿のおばさんがやっぱりニコニコと笑って見送っていた。


 階段を上がったそこには、やっぱり下と同じく長い廊下があった。
 それは、1階と同じような静々とした暗さが、ずぅーっと奥まで続いていて。奥までは視線が届かないような、そんな感覚があった。
「うわっ!すっごい奥…。」
 思わず出てしまったのだろう。ちょっと遅れて上がってきたN原の彼女がつぶやくと。
 その声が聞こえたのだろう。また宿のおじさんが例のニコニコ顔で振り返って言った。
「みなさん、そうおっしゃるんですけどー。
 いえね。実際は、それほど長くもないんですよ。
 とにかく真っ直ぐなせいなんですかねぇ?
 こう、ずーっと線が延びている感じが、みなさんそんな風に思われるじゃないかって、
 ウチの者たちは言ってるんですけどね…。」
「あー、そう…。
 なんだかさ、2階に上がった瞬間、
 まるで遠近法の見本でも見せられてるみたいだって思ったんだよなぁ…。」
 そのN原の言葉に、宿のおじさんはまた振り返って笑顔で答えている。

 遠近法の見本…。
 まさにそんな感じだった。
 廊下の両端の線。天井の両端の線。そして梁の線。
 等間隔で並んでいる部屋の戸が、奥に行くにしたがってそれらの線に従うように小さくなっていって…
 あと、柱や廊下の色がとにかく黒くて濃くて。さらに壁も濃い沈んだ色であるせいもあるのかもしれない。
 天井と廊下の四隅の線と、鴨居の線。さらに所々にある部屋の戸の線をずぅーっと目で追っていくと、何だか廊下の奥に吸い込まれてしまいそうな…。
 そんな錯覚を覚えるほどだった。

 そんなことを、やっぱりみんなも思っていたのか?
 それとも、さっきまでの5月の太陽がウソのようにヒンヤリと暗い、この廊下の雰囲気に呑まれてしまったのか。
 つい今まではしゃぎまわっていたのがウソのように、オレたち4人は宿のおじさんの後ろを静々と歩いていた。
 それは、話す時でさえ、思わずヒソヒソ声で話しているような有り様。
 そんなオレたち4人とは対照的だったのが、宿のおじさんだった。
 歩きながら何度も振り返っては、例の笑顔でオレたちに話しかけてきた。
 それは、その廊下を3分の2も歩いたところだったか。
 おじさんが、またくるっと振り返ったと思ったら、今度は足を止めた。
「一つ目のお部屋は、ここになります。
 こちらは、どちらさまがご利用になります?」
 
 その声につられるように入った部屋は、意外に普通の部屋だった。
 もちろん、廊下や1階と同じように柱や梁は、太く黒ずんでいた。
 でも、壁や畳は新しかったし。窓からは、5月の太陽の光が燦々とさしこんでいた。
 部屋の端の床の間のようになった所には、お決まりの100円を入れて見る小さなテレビもあって。
 そんな、どこにでもある旅館の、どこにでもある部屋だった。

「どうする?どっちが泊まる?」
 N原が女性二人を促すと。彼女たちは顔を見合わしていたが、「ねぇ、もう一つの部屋も見てから決めない?」と言ったのを、宿のおじさんが素早く引き取った。
「あ、そうですね。そのほうが…。
 それじゃぁすみませんけど。先ほども申し上げましたように、
 もう一つのお部屋はちょっと離れちゃってるんですよ。
 ホントごめんなさいねー。」
「いえ、そんな。空いてただけでありがたいんで…。」
「じゃぁ、ご案内しましょう。
 実はね、そっちは別棟でして。
 ま、一応新館ってなっているんですけど…。
 でもまぁお客さんたちみたいなお若い方からしたら、
 あまり新館って感じじゃないかもしれないなぁー。ハハハ。
 いえ。すみません。じゃぁさっそく…。」
 宿のおじさんはそう言うと、招くようにオレたちをあの暗く長い廊下へと連れ出して。そして、またあの廊下を歩き出した。


 その部屋から出てちょっと歩くと、そこは廊下の突き当たりになっていた。
 あれ?この廊下、いつの間に…
 思ったよりも全然早く廊下が終わっていたことに怪訝に思うより早く、その廊下が左に直角に曲がっているのに気がついた。
 宿のおじさんが言っていたように、この廊下は長く見えるだけなんだな…とオレは見まわしていて。
 その時、ふと目がいったのは、天井からぶら下がっていた非常口ランプ。
 その、例の緑色の場違いな感じ…。
 見慣れてるはずのソレがここではとても異様にさえ見えて、思わず見入ってしまったのだ。

「ここから新館になるんですよ。
 お部屋は、この廊下の突き当たりになります。」
 宿のおじさんについて直角に曲がった廊下の先は、新館とはおおよそ名ばかりだった。
 そこは、今まで歩いてきた廊下――本館?――の古さと全く変わらない。
 いや。というより、いつの間にか今までの廊下に戻ったのか?と思ってしまうくらい、やっぱり遠近法の見本のような廊下がずーっと。奥まで伸びていた。

 それは、曲がる前の廊下と同じく、天井と床の四隅の直線、その他の直線がすぼまるようにずぅーっと伸びていて。
 等間隔に並んでいる各部屋のドア、柱…。
 飴色を帯びた黒の柱や壁も、外の光が入ってこないのも、それらをじっと見ているとクラっとくる感覚があるのも、それはまったく同じ。
 さらには、あちこちキョロキョロさせながら一人遅れて歩いていたN原の彼女が、「うわっ!まったすごい奥…。」ってつぶやいたのも、やっぱり同じ。
「ハハハ…。
 ほんと、先ほども言いましたけど、
 みなさんがおっしゃるほど、この廊下って、長くはないんですよ。」
 そう言って、相変わらずニコニコ笑っている宿のおじさん。
 …って、考えてみればそれまで同じだった。

 そんなことを考えていたら、前を歩いていた宿のおじさんが急に振り返った。
 そして、例のニコニコ愛想のよい顔で、オレの顔を見て言った。
「ほら、ちょっと後ろを振り返って見てください。」
「えっ!?」
 見れば、あの非常口の緑色のランプがぶら下がっている直角の曲がり角が、意外なくらいすぐそこにある。
「あれぇ!?」
「ね?」
 その声につられるように前を向いた途端ぶつかったのは、なんとも嬉しそうなおじさんの顔。
「えー、なんだろ?
 ずいぶん歩いた気がしたんだけど…。」
「いいえー。わたくしどもの旅館は、
 そんな大旅館ではございませんから。ふふふ…。
 さ、お部屋はすぐそこですよ。」

 入った部屋は、先ほどの部屋とほとんど同じだった。
 しいて言えば、この部屋の方がちょっとだけ広いような。
「なぁM岡。オレたちがこっちの方がいいんじゃねぇかぁ。
 こっちの方が少し広いみたいだから、みんなで話するのにいいしさ。
 あと多少声が大きくなっても、ここって一番奥だしさ。」
 N原にそう言われると、オレも女性2人も特に異存はなかった。
 というより、部屋自体はほとんど一緒で、異存も何もなかったのだろう。

「お兄さん方がこちらになさいますか?
 それじゃぁ、私はお茶をお持ちしますんで。」
 そう言って、いそいそ部屋を出かけた宿のおじさんに、N原が慌てて声をかけた。
「あ、すみません。宿代って…。」
「あれ?案内所の人、言ってませんでした?
 すみません。お客さんたち飛び込みなんで、
 サービスさせていただいて5500円ってことでお願いしたいんですけど。」
「あ、いえ。聞いてはいたんですけど…。
 ただ、ここ、ずいぶん立派なんでー。
 ホントにそれで大丈夫なのかって、ちょっと心配になっちゃって…。」
「そうっ!そう。
 実はさ、オレもそれずっと心配だったんだよー。
 玄関入った時、一瞬、回れ右しようと思ったくらい。ハハハ。」
「そうそう。さっきね?」
「うん。」
 それは、うなずき合っている女の子2人。
「わたしたちも、それ言ってたのよ。」
 なんのことはない。実は4人とも、この宿に入った時からずっとそれを心配していたらしかった。
「ハハハ。大丈夫ですよ。お一人5500円で間違いないですよ。
 じゃぁ、わたしはお茶をお持ちしますんで。
 あっ。あと、お嬢さんたちを先ほどのお部屋にご案内しないと。
 じゃ、よろしかったら行きましょうか?」
「あっ、そうだった。
 うん、じゃぁ。荷物置いたらまた来るから…。」
 彼女たちはそう言うと、宿のおじさんと一緒に笑いながら部屋を出て行った。

「ふぅぅー…。」
 それは、彼女たち2人と宿のおじさんが出ていった途端だった。
 いきなり、畳にドサっと大の字になったN原は、寝転がった状態で思いっきり伸びをした。
そのままの格好で天井をじっと見つめているN原が、ちょっと離れた所に座っていたオレの顔を見た。
「いやー、ホント行き当たりばったりで、一時はどうなるかと思ったけど…。
 でも、結構どうにでもなっちゃうもんだなぁー。」
「うん。しっかしなんて言うか…。
 今ここにいることが考えられないって言うのか…。」
「そう!ホントそれだよ。なぁM岡さ。
 オマエ、今日オレたちがQ町に来て、ここでこうしてるなんて、今朝、思ったか?
 いやぁ思わねぇよなぁー、そんなこと…。」
 その時には、やっぱりオレも畳に大の字になっていた。
「うん。そう、まぁなんとかなっちゃうもんなんだな。
 まーよ。明日もこの調子でさ、よろしくな!」
「おぅ。こっちこそ…。」
 そう。あの時オレたちは、そうやってしばらく天井を見ながらずっと笑っていたのだ。
 その夜起こることなんて露ほどにも考えもしないで……


「あ、そうだ。」
 いきなり起き上ったN原。
「どうしたんだよ?」
「うん。ちょっと家に電話してくる。」
「えぇ?そんなの夜でいいだろ。」
「ウチ、今日、夜は出かけるとか言ってたんだよ。
 うん。めんどくさいから、ちょっと行ってくるわ。」
 そう言って立ち上がったN原は、引き戸を開けて廊下へ。
 それを寝転びながら見送っていたオレは、ふと起き上って。四つん這いのままズルズルと部屋の戸を開ければ──。
「っ…。」
 それは、あの遠近法の見本のような廊下の線の中で、どんどん小さくなっていくN原の後姿。
「おい!なぁ、おい、N原!N原ってば!」
 変な話だけれど、どのくらいの声を出せばN原の後姿に届くのか、感覚がつかめないのだ。
「N原!N原ってばっ──。」
 それは廊下のどの辺りなのか、やっと振り返ったN原。
「あのさー、お茶!お茶さ、みんなで飲もうぜぇー。
 だから湯呑み、4人分貰って来いよぉー。」
 オレが言ったことがわかったのだろう。
 廊下の四隅の線の中で、うなずきながら手でOKサインしているN原の姿。しかし、それはすぐに後姿となって、OKサインは手を振る仕種に。
 それは、天井と廊下、4本の線がすぼまっていくのと一緒に小さくなっていくN原の後姿……

 いや。この廊下はそんなに長くはない。
 N原の姿がだんだん小さくなるように見えるなんて、そんなことあるわけないのだ。
 なのに、その時。オレは、すっかり小さくなったN原の姿が廊下の奥を曲がるまで、それをずっと見つめていた。



                   ―― 『姉弟掛け合い怪談:その13』〈つづく〉

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2017
04.09

怪談:17.4.9『姉弟掛け合い怪談-その12』


「へぇーんな話…。」
「だね。」
「面白いんだけどー、でも変。みたいな。」
「そうそう。そんな感じ。ハハハ。」
「2つ目の風に吹かれて飛んでっちゃったおじさんの話なんて、
 そう、子供の頃って、オバケとか超能力とか、それこそTVのヒーローとかも、
 全部ウソだった、子供ながらにわかってるのにさ。
 でも、心のどこかでは、ちょっとだけ信じてるっていうかさ、
 ピンチの時に心の底から願ったら出来るって思ってるみたいなとこ、あるのよね。
 だから、あぁなんかわかるーって思った。
 ていうかさ。それ、ホントに知り合いから聞いた話なの?
 2つ目もそうだけど、1つ目の話なんて、すっごくアンタっぽいんだけど…。」
「そ、そんなわけないだろ。
 だって、ウチの近くにそんな道ないじゃねーか。」
「近くになくたって、片側が田んぼに面した真っ直ぐな道なんて、
 ちょっと行けば、普通にあるじゃない。
 ていうか、そんなこと言ったら、
 アンタって子供の頃、ソファーで寝っ転がってるの、大好きだったじゃない。
 チョコレートも大好きだったし…。」
「えぇぇー。そうかなぁ…。」
「お母さんに、ご飯だからP太呼んできて言われてさ。
 呼びに行くと、アンタ、暖かい季節は大体ソファーで寝てるのよ。
 子供のくせにTV見ないで寝てばっかりって、変わってるなーって、いつも思ってた。」
「な、なんだよー。人をなんだか年寄りみたいにー。」
「幼稚園の入園式で、先生に好きな食べ物を聞かれて。
 他の子供は、カレーだ、唐揚げだ、ハンバーグだって言ってるのにさ。
 一人、シシャモ!って。しかも、人一倍元気に答えたって聞いた時は、
 わたし、子供ながらにそれは恥ずかしいなーって思ったわよ。
 ていうかさ。そうっ!あれ――。」
「ストップ!もぉいいから。それは言わなくていいから――。」
「幼稚園入って、最初の身体測定でさ。」
「ワーっ!ワーっ!」
「家帰ってきたら、女の子のパンツ履いてたって、それこそ怪談じゃない?
 だってさ。いくら幼稚園だからって、身体測定でパンツ脱がないよねー。
 ねぇ。いったい何がどうなったら、他の女の子のパンツ履けるのよ?」
「知るかよ!」
「今だったら、絶対大問題になってるよね。
 変態幼稚園児とかなんとか…。ブブッ。ケラケラケラ。
 あ、でも、変態の方も幼稚園児なんだもん。
 同年代なんだから、そんなに変態でもないのか!?うん?」
「どーでもいいよっ、そんなこと!」
「その話聞くたび、いつも思うだけどさ。
 アンタが履いてきちゃったパンツの主ってどうしたんだろ?
 やっぱり、アンタのパンツ履いて帰ったってこと!?
 いやー、そんなわけ…。ていうか、それは絶対ない!ない!あるわけない!」
「くだらねーことばっか言ってないで、早く次の話しろよ!
 ねーちゃんの番だろ!」
「えー、面白いのにぃー。
 あ、そう。ていうかさ、この話、B美さんは知ってるの?ねっ!
 知らないんだったら、今度来た時、絶対教えてあげ――。」
「いいよっ、別に!だって、知ってるもん。」
「は、はぁ~?
 な、な、なんでB美さんがそんなこと知ってるのよぉ~!?
 えぇっ?つまり、話したってこと!?
 うそぉ!?え、なんでそんなこと話するのよ!?」
「知らねーよ。知るわけねーだろ!
 そんなの話の流れだよ!」
「は、話の流れって、どんな話の流れよ?
 あ…。
 もぉいい。話する…。」
 ったく…
 つまり、人に男と女がいるのは、オトナになっても子供の頃に戻ってバカをするための方便ってことなのだろう。
 はぁ……


「東京にいた頃の知り合いでさ。
 友だち…、まぁ友だちなるのかなぁー。
 ううん。学生の頃の友だちじゃなくってね。
 社会人になってから知り合った人なんだけど、
 その人、小学校の社会科見学で縄文時代の遺跡の博物館に行ってから、考古学にはまっちゃったらしくって。
 以来、休みになると一人でちょくちょくその手の博物館に行ってたらしいの。
 でね。中一の夏休み、近くの町の古墳の博物館にに行った時……。」


 その博物館には、展示館が2つあった。
 そんなわけで1号館を見終った私は、さて2号館へというところなのだが、1号館の展示物の圧倒的な量にさすがに疲れて。
 博物館というのは気力と、そして意外に体力が必要なのだ。
 疲れてしまうと、それらをちゃんと見ることが出来ない。ちゃんと見なければ、少ない小遣いをやりくりしてここまで来た意味がないというものだ。
 というわけで、その時私は1号館を出たところにあるベンチに座って休んでいた。
 もっとも、古墳時代の遺跡の博物館なんて流行らないのか。
 夏休みだというのに入館者は私だけ。アブラゼミだけがやたらジリジリ鳴いていて、それ以外は物音ひとつない。
 そんな夏のカンカン照りの昼下がりだった。

「暑いねー。」
 ふいに声をかけられて。ちょっと慌てて私がそちらを見ると、博物館や園内を整備する方なのだろう。作業着に麦藁帽子という格好のおじさんが、タオルで顔を拭きながら微笑んでいた。
 たぶん、今日のあまりの暑さにひと休みがてら、ちょっとおしゃべりでも…、みたいな感じだったのだろう。
 というか、あまりにも客がいないのでヒマだったというのもあったのか。
 とはいえ、そういう私だって夏休み中の中学生だ。別に急ぐわけでもなし、しばらく、そのおじさんの話に付き合うことにした。

 結構長々と話をしていたのだが、その間もお客の姿は全くなく。
 聞こえるものといえば、例のアブラゼミの鳴き声だけ…。
 と思ったら、こうして座ってゆっくり話をしていると、それ以外にも動いているものの音がすることに気がついた。
 それは、バッタの跳ぶキチキチという音、蜂の羽音等々。
 とはいえ、この真夏のカンカン照りの中だ。そんな暑さの中では、さすがにそんな昆虫たちの気配以外、何もなかった。
 風は、そよともなびかないし。まわりの濃い緑の上には見事な入道雲が立ち上がっていて、まさに盛夏だった。

「まぁ、なんといってもさ、ここは古墳。つまり昔の人のお墓なわけ。
 だから、結構気味が悪い時もあるんだよね…。」
「へー。そんなもんですかねー。」
 古い墓って言うと、ちょっと薄気味悪いが。同じ古い墓でも、古墳というとあまりそんな感じはしない。
 ましてや、私、当時は考古学マニアなわけだ。

「1号館はさ、埴輪や土器ばかりだし。
 建物も新しいから、全体に明るい感じだったろ?
 だから、別にどうってことないんだけどさ…。」
 お客がいなくて人恋しかったのか何なのか、おじさんはやけに饒舌だった。
「2号館の方は、人骨とかも展示してるんだよね。
 だからなのかなぁ?時々、不思議なこともあってねぇ…。」
 お爺さんはそう言いつつ、視線をすーっと向こうに。
 つられてそちらを見ると、そこにあるのは2号館。
 ついさっきまではそんなこと考えもしなかったのに、今は心なしかちょっと陰気な感じに見えてくる不思議だ。
「2号館の脇に木が茂った小山があるだろ?
 実は、あそこも古墳の墳丘でさー。
 もっとも、ここはもぉそこらじゅう、古墳だらけなんだけどね…。」

 見れば、こちらから見て2号館の右側6、7mくらいのところに広葉樹が密生した小山があった。
 ただ、その小山。この博物館の公園内が手入れの行き届いた芝生等いかにも公園然としているのとは対照的に、木々がザワザワザワザワーって生い茂っていて。
 なんだろう?そう、緑の密度と量がちょっと異常なくらいなのだ。
 ただ、よく見ると、広葉樹の茂り方はそれはそれでスゴイのだが。それよりも、そこをスゴク見せているのが藤の蔓だとわかってきた。
 生えている木の幹や枝にのたうつように巻きついている、太くごつごつした木の幹のような蔓。さらに、その周りでは無数の緑の蔓がまるで宙に纏わりつくようにゆらゆら揺れている。
 それは、変に馴染めない風景だった。凄愴な感じがするといったらいいのか…。

「スゴイ藪ですね。なんだか、ジャングルみたい。」
 そう言った私の方を振り返って、おじいさんが言った。
「本当は、少し切ればいいんだろうけどねー。
 でも、なんかね。なんか…。」
「えっ?なんかって!?」
 今さら気がついたのだが、このおじいさん、さっきから何だか妙にひっかかる話し方をする。

「何年か前のことだったんだけどね。
 やっぱり、こんな感じの暑い日でさ。
 そこんとこでさ、草むしりしてたんだよね…。」
 おじさんはそう言って、今いるベンチの傍の花壇を指差した。
「やっぱり、こんな風にお客のいない日でさ。
 こんな風にこっち向いて、草むしりしてたのさ…。」
 おじいさんはそう言いつつ、体をちょっと捻ってみせた。それは、2号館に背を向けた格好になっていた。
「なにせ、あの日は暑くってさ。
 そう。今日よりも暑かったかもしれないなぁ…。」

 その視線につられるように空を見上げると、その途端、太陽のあまりの眩しさに一瞬何も見えない。
 やっと見えるようになっても、おじさんの顔もまわりの景色もしばらく青のモノトーン。
 そんな私のことを見つつ、おじさんは話を止めた。
 それは、あいかわらずのアブラゼミの大合唱。
 その、耳がウワーンとなってくる鳴き声は、逆にあたりの深閑さを際立たせ、辺りに私とこのおじさん以外人っ子一人いないことを感じさせる。

「こう、あっちに背を向けてさ。
 せっせせっせと草むしりをしてたのさ。
 なにせ、草ってやつはさ。
 こう陽気がいいと、むしっても、むしっても、すぅぐ生えてくるんだから…。」
 今度はそこにしゃがんでしまった、そのおじさん。2号館に背を向けたまま、しきりと草をむしる動作をしてみせる。
「疲れてきてさ。
 ここが終わったら、休もうかなぁって思った時だったんだよなー。
 なんだかさ。人の騒めきのような、そんな感じがあってさ。
 あぁ、やっとお客が来たんだなーって思ったんだよ…。」
 おじさんはそう言って、しゃがんでいて腰を伸ばすように私の方を見てきた。
「お客が来たんなら道を空けなきゃって思ったんだけど。
 でも、たまたまキリが悪くってさー。
 ついつい草むしりを続けてたわけよ。
 お客が来たら、どけばいいやって思って。
 ほら、ここって細かい砂利が敷いてあるだろ?
 だから、人が来れば音がするからすぐわかるからさ…。」
 そう言ったおじさんは、踵で砂利を蹴ってザッザッザと音をたてる。

「草むしりを続けてたんだけどさ。
 でも、お客なんていつまでたっても来なくってさ。
 あれ、先に2号館に行ったのかな?なんて思ったわけさ…。」
 また、そこで話を止めたおじさんは一瞬ピクッと。やにわに何かを確認するかのように向こうを振りかえり、そしてまた私に視線を戻してきた。
「でね、その時だったんだ。
 なんだか、急にさ。背筋がゾクゾクゾクゾクーっときてさ。
 えっ!って思ったんだよ。
 えっ!なんだっ?って感じさ。もぉ…。」
 おじさん、今度は私に背中を向けて。その右手を自分の背中にまわして、背筋に沿ってその手を小刻みにゆらしつつ、すーっと下ろしてみせた。
「こうね。なんかスーっって。
 背中を冷たいものが落ちていく感じっていうのかなー。
 でもさ、その後すぐだよ。
 今度は、右耳の下あたりにさ、シューって。
 何かが前に通って行くような、そんな触感があってさ。
 うん、うん。視線、視線…。視線なんだよ。
 視線が、シューっと耳の下から頬を撫でていく感じっていうの?
 まぁさ、そんな感じがしたわけさ…。」
 おじさんは、私の目をガッチリ見つつ。自分の右耳の下から頬にかけて、指先をゆっくりスーっと移動させる。
「……。」
「何かが俺のこと見てる!って思ったのと、後ろを振り向いたのは同時だったと思うよ。
 さっと振り向いたんだ。
 そしたら、その視線とぶつかったのさ。
 そこ、そこだよ。2号館の入口があるだろ?
 そこんとこから、つーって横に行ってさ。
 あの木がいっぱい生えてる古墳と、ちょうど真ん中ぐらいのとこ…。
 あの辺り、あの辺り…。」
 おじさんは、身を乗り出すようにしてその場所を指し示した。
 そこは、ここから10mくらいのところ。今は、ギラギラした夏の太陽の下、青々とした芝生がツヤツヤ光っている……

「そこにさ。白い服を着た何かが、ぼぉーっと立っててさ。
 俺のことを見てるんだよ。
 あぁいや、睨んでるとかそういうんじゃなくってさ。
 なんかこう、ただ見てるって感じ…。」
「えっ、それって、ゆ、幽霊だったんですか!?」
 いくらこの真昼の太陽の下とはいえ、今いる場所のすぐ傍で出たなんて聞くとやっぱり怖くなる。
 ましてや、それは今日と同じような陽気の日のことだったというのだから。
 ところが、そのおじさん。私の「幽霊だったんですか?」には、まったく答えようともしない。

「体は、こう、あっちの古墳に向けててさ。顔だけ、こっち向いてるの。
 で、こう俺のこと、ぼんや~り見てるって感じだったんだけどさ。
 でも、それが今度は、足元からすーっと、ゆ~っくり霞んでってさ。
 足、腰、腹、胸って、だんだん霞んできたなぁと思っていたら、
 だんだん見えなくなっていってさ…。
 でも、そんな状態でも顔だけはオレのこと見ててね。
 うん、そう。ぼんやり、ただ見てるって感じの視線でさ。
 そのうち、顔も消えちゃって、何も見えなくなっちゃたんだけどさ。
 なのに、視線だけは残っているような感じだったんだよなぁ…。」
「えっ?えっ?えっ?
 それって、やっぱり幽霊…!?」
 その問いにも、さらっと無視を決め込むおじさん。
「でね。それが消えてから、気がついたんだよ。
 オレのことを見ていた、ソレの格好っていうのがさ。
 展示してある埴輪と同じだったってことにさ。
 頭がさ。両脇の髪の毛を、こう結った“みずら”だったことにさ…。」



                    ―― 『姉弟掛け合い怪談:その12』〈つづく〉

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2017
04.02

怪談:17.4.2『姉弟掛け合い怪談-その11』


「はぁー。」
「ふー。」
 今の弟の話…。
 面白かったのは、面白かったんだけど…。
 な~んか、いい加減疲れてきたかも…。
 見れば、弟も今にも椅子から滑り落ちそうな座り方で、グダーッと。背もたれに後頭部を乗せ、天井見て放心している。
 ていうか、今まで何でキッチンでずっと話してたんだろう。
 居間でソファーにでも座って、ゆっくりすればいいのに…。

 夕方、あれほど強かった雨音は、今はすっかりなくなっていた。
 今聞こえるのは、シュンシュン言ってるストーブの上のヤカンの音だけ。
 蛍光灯は消して、スタンドだけしか点けてないから、ストーブの炎で周りが赤々と照らされている。
 はぁ…
 部屋の中はぽっぽと暖かいのに、外のキーンと冷え込んだ空気がしみ込んでくる真冬の夜。

 うん…
 そう…
 面白いのは面白かったんだけど…、なんかなぁ…
 イマイチ、引っかかるっていうか…
 ふふっ。怪談好きの弟が、いかにもそれっぽいお話にしちゃったって気もするんだよなぁ…
 まぁ、でもしょうがないのか
 怪談なんて、それぞれの人の頭の中を通過してしゃべられるわけだもん。同じお話でも、話す人によって微妙に違うからこそ面白いんだろうな
 あー、ていうか、疲れた。ふぅー。
 そう。なんかさ、いい加減、ちょっと重くなっちゃったのよね。
 そう、そう。この弟が怪談好きなもんだから、バッカみたいに張り切っちゃうもんだからさー。
 オバケだってさ、おどかしてばっかりじゃ疲れちゃうのよ……


「あのさ。これは、H叔父さんに聞いたんだけどさ。」
「え?H叔父さん!?」
 H叔父というのは、前にも出てきたが、本日、ウチの両親がお邪魔したあげく、叔父に捕まって、結局(予定通り?)泊まることになった家の主だ。
「H叔父さんってさ。実は、カワウソだったのよ。
 しかも、妖怪の…。」
「は、はぁ?
 あ、あぁ、そういうこと?
 そうだよね。H叔父さんって、ちょっとカワウソに似てるよね。アハハ。」
「でね。H叔父さん、ある日、プラモデルを作ってたんだって。」
「あー、H叔父さん、好きだもんねー。プラモデル…。」
「でね。その作ってたプラモデルっていうのが可笑しいの。
 なんと、笠地蔵。アッハッハ。」
「か、笠地蔵!?
 なに、それ?そんなプラモデルあるの?」
「わたしが知るわけないでしょ、そんなこと。
 気になるんだったら、アンタ、H叔父さんに聞いたらいいじゃない。
 でね。お地蔵さんに笠をかぶせてたら――。」
「あー、やっぱりその場面なんだー。へー。」
「お地蔵さんに笠をかぶせてたら、
 ふと、自分でもかぶってみたくなったんだって。」
「え、何を?」
「笠に決まってるでしょ。アンタね、ちゃんと話聞きなさいよ。」
「き、聞いてるって。でも――。」
「で、かぶっちゃったらしいのよ。H叔父さん。」
「…!?」
「そしたら、その恰好が可笑しいって。
 みんなに、もぉバカウケしちゃったらしいのよ。
 H叔父さん、それにすっかり気をよくしちゃって。
 その恰好のまま、近所をねり歩いちゃったら、
 H叔父さんの行くところ、行くところ、もぉ大喝采。」
「……。」
「H叔父さん、あれはカワウソなどという地味な妖怪である俺の、
 一生に一度あるかないかの晴れやかな場面だったって、
 すっごく嬉しそうに話してたんだけどね。
 でもさ。一生に一度あるかないかのって、
 H叔父さんって、カワウソっていう妖怪なわけじゃない?
 一生、二生もないじゃんね。だって、妖怪なんだもん。」
「な、なんなんだよ、その話っ!全然わかんないよっ!」
「そんなこと言われたって、わたしだってわかんないよ。
 だって、夢だもん。」
「ゆ、夢ぇ?はぁ?」
「昨日、そんな夢見たの、今思い出したの。わかった?
 だから、怪談はもぉ終わりっ!もぉ寝るのっ!」
「ちょ、ちょっと…。
 なんだよ、それぇーっ!せっかく面白くなってきたのにぃっ!
 あ、ていうか、そぉ。ねーちゃん、まだ風呂入ってないだろ?」
「あ…。
 やだ。忘れてた…。」
「だから、今から沸かすことにして、その間――。」
「もぉいいよぉー、風呂はぁー。
 めんどくさいし、寒いし…。
 ていうかさ。実は、アンタの話、聞いてたら一つ思い出したんだけど、
 でも、結構長い話なのよ。
 アンタの話で、疲れちゃったのにさ。
 これで、さらにわたしが話すって思ったらさぁー、ねぇ。アハハ。」
「で、H叔父さんはカワウソで…。」
「そう、妖怪。しかも、地味ぃ~なって。ケラケラケラ。」
「どんな夢だよっ!
 もぉいいっ!オレが話すよ!。」
「いよっ!B美さんも惚れ直しちゃうイケメン!
 でも、バカだけど…。キャッハッハ。」
「うるっさいよ、もぉっ!
 だからっ!これは、会社のJ原さんから聞いた話っ!」
「えぇぇ~。なに、怒ってるのぉぉ~。」



 それは、たぶん、俺が小学校低学年の頃だったと思う。
 冬か、もしくは春先のよく晴れた日の午前中のことだった。
 僕は、居間のソファーに座って本を読んでいた。
 日のよくあたる部屋で、そのポカポカとした暖かさに、僕はいつしかまどろんでいた。
 
 ふと目が覚めて。
 その半分だけ開いた目が見ている先。それは、テーブルの上一面にレースのカーテンの模様の影が広がっている様。
 かすかに風があるのか、それは左に右にゆっくり、ゆっくりと動いている。
 僕は半分だけ目が覚めたような頭で、それをぼんやりと眺めていた。
 レースのカーテンの影が、テーブルの上にある物の表面をなぞるように動いていく様子はなんだか面白かった。
 開いたまま伏せた本の表面、灰皿、そして色とりどりの一口サイズのチョコレート等々。
 レースのカーテンのギザギザした影は、それらの表面の凹凸を余すことなく丁寧に舐めていく……

 ただ、その動きはどういう加減によるものなのか?すーっと流れるような動きではなく、どこかジリっジリっとした感じの小刻みな動きで。
 そんな、ジリっジリっと動くレースのカーテンの影を、ぼーっと見ている僕の目。
 突如、その視界の端に、レースの模様のない黒一色の影がふわーっと入り込んできた。
 それは、ひらひら、ひらひらと…。
 その真っ黒な影は、テーブルの上でジリっジリっと動いているレースの模様の影を、ひらひらと侵食していく。
 陽の光の明るさに慣れていた僕の目には、それはテーブルの上があっという間に真っ黒に染まってしまったように見えた。
 ついに、テーブルの上が真っ黒になった、その瞬間。
 何だったのかはわからない。僕は矢も楯も堪らなくなって、「わっ!」っとソファーから体を起こした。
 でも、そのテーブルの上は元通り。レースのカーテンのギザギザした模様の影が、テーブルの上にある全ての物をなぞっているだけ。
 あの、ジリっジリっと小刻みな動きで。
 開いたまま伏せた本の表面、灰皿、そして色とりどりの一口サイズのチョコレー―-。
「あれっ!」
 思わず声を上げた僕は、辺りをキョロキョロ見回す。
 だって、テーブルの上のチョコレートがどこにもない。

「あれぇぇぇ…。」
 そんな素っ頓狂な声をあげながら、僕は四つん這いになってテーブルの下も見たんだけど、テーブルの上にあった、一口サイズのチョコレートはどこにもない。
 はっとして、窓の隅を見れば…。
 レースじゃないカーテンは、左右ともちゃんと束ねられてあった。

 あとで、部屋のゴミ入れを見たら、そこには色とりどりの一口サイズのチョコレートの包み紙が。
 でも、それは何枚もあって、今日食べたチョコレートの包み紙なのかどうかはわからなかった。


 今の話は冬のことだったか春先のことだったかあやふやなのだが、今度の話は間違いなく真冬のことだった。
 でも、それが何歳くらいのことだったかとなると、よく憶えていない。
 とはいえ、あまりにバカバカしい話だから、もしかしたらそれより前。幼稚園の頃のことだったかもしれない。

 その日、僕は近所のK一クンの家に遊びに行こうと家を出た。
 家の前の細い道を通り過ぎて、角を曲がって。向こう側が田んぼに面しているちょっと広めの道を歩いている時だった。
 その日は、北風のとても強い日で、しかも鈍色の曇天の空。
 しきりと電線が鳴っていた。

 K一クンの家は、僕が歩いている片側が田んぼに面した道を、真っ直ぐずーっと行って。
 真っ直ぐな道が右に緩やかに曲がった向こうにあった。

 北風は家を出た時から強かったけど、田んぼに面した道に出た途端、さらに強くなった。
 もっとも、その頃は、「子供は風の子」っていうのが当り前。
 だから、僕も寒いのは寒いんだけど、そんな強く吹く北風を楽しんでもいた。
 道の左側、遥か向こうまで広がっている田んぼ。
 その上に広がっている、重いグレーの空。
 その遮るものが全くない空間を、北風は自由に吹き回っていた。

 そんな北風に向って駆けたり、歩いたりしていると、僕の着ているジャンパーの腕の部分やお腹のあたりが風でボワーっと膨らむ。
 それは、手を広げれば、そのまま風にのって飛べそうな……
 そんな風に、僕が空を飛んでいることを想像していた時だった。
「あれ…。」
 それは、僕が歩くずっと先を歩いているおじさんの後姿。
「あんなおじさん…、えー、いたっけ?」
 おじさんは、僕のお父さんが会社に行く時に着るようなコートを着ていた。
 ただ、それはお父さんが着ているようなねずみ色のコートじゃなくて、真っ黒なコートで。しかも、裾がやけに長かった。
 僕の着ているジャンパーの袖がはためいているように、前を歩いているおじさんの黒いコートの裾も、風でバタバタはためいていた。

 ところが、急にその黒いコートの裾のはためきが激しくなって。
 ゴォォォーーー!
 いきなり、空で風がすごい音で鳴ったと思ったら。
「うわっ…。」
 それは、今までにない強い風。
 ゴォーっというその風に押し返されかけ、思わず腕で顔をブロックする僕。
 ブロックした腕の下に見えたのは、一際バタバタはためいているおじさんのコートの裾。

 それを見たと思ったその時だった。
 おじさんのコートの裾がすーっと。掻き消すように見えなくなったのだ。
「えぇぇーー!」
 驚いてブロックしていた腕をどけた僕が見たのは、黒いコートのおじさんが両手を広げて、ブワーンって空に舞い上がっていったところ。
「かっ、かっ、かっくいぃぃーっ!」
 ゴォォォーーー!
 また空で風が鳴ったと思った途端吹いてきた、さらに強い風。
 それは、空を飛ぶおじさんの姿に見とれていた僕にドカンとぶつかってきて。
「うわっ!」
 僕は、その強い風に、半ば風に押さえつけられるように地べたに手をついていた。
 その強い風が収まって見た空には、もぉおじさんの姿はなかった。

 その後、いったん家に戻って、お父さんのコートを持ちだしてきた僕は、K一クンと一緒に空を飛ぼうとしたのだ。
 でも、お父さんのコートは、あのおじさんのコートみたいに裾が長くないからダメだった。


 今度の話は、わりと最近。何年か前のことだ。
 でも、その話をするには、私が中学生の時に流行った町のウワサを話す必要がある。

 ウワサの元――場所と言った方がいいのか?――は、町を通る国道の下を通る地下歩道だった。
 そこは、僕もそこはよく通る所だった。だから、ウワサを聞く前からそのシミのことはなんとなく気づいていた。
 地下歩道だからそこを通るには緩やかなスロープを下に降りていくわけだが、その入り口を囲む壁にそのシミはあった。
 それは、地下に降りていくスロープの真正面。入口を囲む3方の壁の内側にあった。
 つまり、通路を通ろうとする人は、そのシミが嫌でも目に入っているはずなのだが、ただ、それはたんなる壁のシミなわけだ。
 そんなもの、目に入らない人や、目にしても気にもかけない人の方が多いのだろう。現にウワサを聞くまで、そんなシミは全く気づいてなかったという友だちも多かったくらいだ。
 ただ、僕はソレをかなり前から気づいていたし。
 気づいた時には、ソレが壁の縁から逆さの人がバンザイするようにぶら下がっている形に見えると思っていた。
 というよりは、そのシミがそんな風に見えるから、ソレに気づいたという方が正しいのだろう。

 もっとも、僕にとってもソレは、あくまでコンクリートの壁によくあるただのシミだった。
 怖いとか、気味が悪いとか、たぶんそんな風には思ってなかったと思う。

 その地下歩道に変なウワサがたったのは、前にも言ったように中学生の頃だった。
 なんでも、夜中にその地下道を1人で通ると、そのシミの人が落ちてくるのだと。
 後ろから聞こえた物音に振り返ると、例のシミの人が後ろから覆い被さってきて。その重みで、地下道を歩いてた人は転んでしまい、必ず鼻に怪我するのだと……。

 いや。シミの人にとり憑かれて、1週間以内に死んでしまうとか。
 あと、その人はシミの人と入れ替わってしまって。その人は壁のシミになって、地下歩道を通る人と入れ替わろうとするのだというバージョンもあった。

 当時、中学生とはいえ、さすがに「1週間以内に死ぬ」だの、「壁のシミと入れ替わる」だのという時点でそれは嘘だとバカにしていた。
 ただ、「転んで鼻をケガする」と聞いて、なんで鼻なんだろ?とそこのところだけ不思議に思ったからだろうか。
 その地下歩道を通る時、そのシミの真下はなんとなく避けて通っていたような記憶がある。

 そう。今思えば、私はその後も無意識にそれを続けていたのかもしれない…


 話は現代に戻る。最初に言ったように何年か前のことだ。
 その夜、私は同僚と飲んで、帰りは結局最終かその1本前になった。
 私の今の住まいは、駅からは国道の向こう側だ。だから、いつも通り国道の下を通る地下歩道を通った。
 私は酒は強い方だし。また、その時酔いはもうすっかり醒めていた。
 でも、地下歩道を歩いてたら、突然後ろで大きな物音がして。
 そのただならぬ物音に、ビクッと振り返りながら。なにかこう、異様な気配のようなものを感じて、とっさに通路の端に避けたのだ。
 そう。ガツンと、背中が激しく通路の壁にぶつかったのを感じたのと同時だった。
 びゅん!と。まるで、棒を宙で激しく振るような音ともに、黒いモヤのような物が地下歩道を通り過ぎて行った…

 その後、家にたどり着くまでの記憶はない。でも、間違いなく言えるのは、中学生の時に聞いた地下歩道の例のウワサをずっと思い出していたことだ。
 いや。別に鼻は怪我しなかった。
 ただ、黒いモヤのようなものを避けた時、地下歩道の壁にぶつけた背中は1週間くらい痛んだ。

 すっかり酔いは醒めたと思っていたけど、まだ酒が残ってたのかなーとも思ったのだ。
 なのに、夜遅くなってからはその地下歩道を通らなくなったのは、そのことを妻に話したからだった。
 聞けば、妻は前々からあの地下歩道を通るのが妙に嫌だったとかで。
 そうは言っても、今まで通ってきて別に何もなかったわけだし。また、夜中に地下歩道のスロープを一人で降りていく人を見かけたりもするのだが…。

 そう。最近、その地下歩道の入り口の壁に、いまだに逆さの人がバンザイするようにぶら下がっている形のシミがあるのに気がついて。
 今までなんで気がついてなかったんだろう?と、なんだかそれも不思議な気がして。
 今も地下歩道を通る時は、私も妻もその真下だけは避けて通るようにしている。

                            
                    ―― 『姉弟掛け合い怪談:その11』〈つづく〉

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2017
03.26

怪談:17.3.20『姉弟掛け合い怪談-その10』


「どうしたのよ?
 アンタの番でしょ。早く話しなさいよ。」
「……。」
 カチカチいってる時計の音に、ふと見れば、もう11時を回っていた。
 話し始めたのって、4時前くらいだったっけ?
 ということは、かれこれ、7時間も怪談を話していたことになる。
 もっとも、途中夕食を作って食べたし。あと、話すたんび、このバカな弟がツッコミ入れてくるもんだから。その相手して、ワケわかんないおしゃべりしてた時間も多かったんだけど…。
 そういえば雨は止んだのか?さっきまでの窓を叩いていた音は止んで、今は夜の静けさだけが耳にあった。
  
 なんとなく手持無沙汰だったのだろう。さっき淹れた中国茶のマグカップを口に持って行ったら、もう空で。すかさずティーポットを取ったら、こっちもやけに軽い。見れば、案の定、空。
 しょうがないからまた淹れようと立ち上がったら、弟の声がした。
「ねぇ。コーヒー淹れてよ…。」
「えー。」
 コーヒーなんて、と思った瞬間、あー、コーヒーもいいなって思った。
「あー、うん。コーヒーにしよっか…。」
 父がコーヒー好きだからだろう。わたしの家には、サイフォンやらコーヒーメーカーやら、器具がいろいろあった。まぁさすがの父も、最近はサイフォンは使ってないみたいだったけど。
 わたしは、コーヒーはドリップで淹れたのが好きだった。だから、お湯を沸かそうとポットに水を入れていて、ふと。
「あ、コーヒーメーカーの方がいいよね。」
「え…。あぁ。うん。そうだね。」
 コーヒーメーカーのいいところは、いちいちお湯を沸かさなくていいことだ。あとは、そう!今のような場合だ。つまり、おかわりが出来ること!
 その分、味はまぁ落ちるけど、でも、弟と怪談を語ってる分には十分だ。
 そんなわけで、コーヒーメーカーがゴボゴボ音をたてだすと、たちまち部屋にいい香りが漂い出した。
 そうそう。コーヒーメーカーのいいところは、コーヒーの出初めの時、香りがとってもいいというのもあった。

「で?どうしちゃったのよ。続きは?」
「あー、うん。次、なに話そうかなーって思ってさ…。」
「なら、もぉやめよっか?11時過ぎたし…。」
「なに言ってんだよ。せっかくコーヒー淹れたのにさ。
 ていうかさ。ねーちゃんの今の話、来週スノボ行ったら、
 みんなに話してやろうかと思ってさ。
 思い返してたっていうのもあったわけ。」
「ふーん。ま、いいけどさ。
 でも、アンタ。スノボなんだから、夜は早く寝なさいよね。
 ちゃんと寝とかないと、怪我するよ。
 アンタだってさ、もぉそんな若くないんだし…、ね?アッハッハ。」
「あー、それは大丈夫。だって、滑ってると、それはさすがに実感するもん。
 前は、昼飯食ったら、あとは夕飯までずっと滑ってたのにさ。
 最近はさ。午後は一回休憩いれないと、脚が持たないんだよね。飛ばされちゃう。」
「あー、それ、わかる。わたしもそう。
 午後の休憩のケーキがさ、甘くて苦いの。しみじみ…。」
「ぶぶっ!なんだよ、それぇー。
 午後にケーキ食ってるようじゃ、ねーちゃんも終わりだね。
 骨折る前にスキーはやめた方がいいよ。アッハッハ!」
「な、なに言ってんのよ!
 わたしはね、大学の時、サークルでみっちり鍛えたから大丈夫なの!
 アンタは休みの日というと、ゴロゴロ寝て、あとはポテトチップ食べてるだけじゃない。
 それも2袋って…。
 ポテトチップ、いっぺんに2袋食べる人、どこの世界にいるのよ!
 そういうのをね、世間じゃイモ!っていうの。
 まったく…。イモイモしい…。」
「な、なにそれ?ギャグ?え…!?」
「るっさい!ていうか、アンタ!さっさと話しなさいよ、もぉーっ!」
「うぅわ!コぉワっ!」


「大学ん時の友だちから聞いた話なんだけどさ。
 その友だちの今の上司…、まぁF川さんとしとくけど、
 そのF川さんが、九州の支店にいた頃あった話らしいだ。
 なんでも、ある時期。F川さんの住む街の繁華街や駅前に、
 宗教っぽい人たちがいるのを、よく見かけたんだって……。」


 当時、私の職場であるその支店は、九州の某県の県庁所在地にあった。
 それは、オウムの一連の騒ぎの何年か後だった。
 繁華街や駅前等人の集まる場所を歩いていると、若い男だったり女だったりが、「悩みや悪縁を断ち切りたくはないですか?」声をかけてくるということがあったのだ。

 オウムの事件の何年か後のことだ。街を歩いていて、宗教っぽい人が声をかけてきたら気味悪いと思うのだが、それでも相手をする人はいた。
 もちろん、私自身は相手をしたことはなかった。
 でも、話しかけられたことは何度かあった。また、ソレなんだろうなって若者に呼び止められた人が、立ち止まって話している光景は何度か見かけた。
 もっとも、そこで何が話されているのかは気にしたことなかった。
 当時、私は支店の営業部で課長をしていた。忙しい私からすれば、それは煩わしいか、どうでもいいことの最たるものだったのだ。
 
 そんな、どうでもいいことの最たるソレがどういうことなのか知ることになったのは、街の繁華街であるX町の居酒屋で課のみんなと、いわゆるノミュニケーションってヤツをしてた時だった。
 なんかの拍子に、例の街中の声かけが話題に上がって。
 「どうせ、また宗教の勧誘だろ」とか、「ていうか、あれジャマなんだよなー」なんて。
 みんな、口々に言っていたのだが、ほんの一瞬、みんなが黙ったタイミングだった。ある若い女性社員が、そこにポンと言葉を投げてきた。
「それってー。
 悩みや悪縁を断ち切りたくはないですか?っていうのですよねぇ。
 あれー、あたしぃ、話を聞いたことー、あるんですぅ。」
「えぇっ…。」

 あの時は、そこにいた誰もが思わずその若い女性社員の顔をポカーンと。なんだか、呆気にとられて見ていたのを憶えている。
 その若い女性社員は、H原さんといった。
 入社して3年目なのだが、私さんからすると、いかにも育った時代が違うという感じの女の子…、そう、まさに女の子っていう感じの女性で、つまり、もはやおじさん世代の私からすると、どう接していいかよくわからないタイプだった。
 というのも、表情の変化が変に乏しく、普段ほとんど笑わないくせに、時々妙なタイミングで笑っていたりする。
 そんな可笑しいかなーと、後で女性社員のボス的な存在のI坂さんに聞いてみたら、彼女も「あぁH原さんですかぁ…」と言ったっきり、黙っちゃって。しばらくしてから、「H原さんは、わたしもわかりません」と苦笑していたくらい。
 もっとも、どこか可憐な雰囲気があって。若い男性社員には、人気があるようだった。

「え、アイツらって何なの?やっぱり新興宗教かなんか?」
 そこにいたみんなの視線は私がそれを言い終わるより早く、H原さんに向かっていた。
「えぇ…。あー。」
 それは、肯定したのか、それとも何か理由で言葉を濁したか。全然わからなくて、口を開きかけた瞬間、I坂さんが口をはさんできた。
「やっぱり、お布施とかって話になるの?」
「いくらなんだって、最初からお布施はないんじゃないですかねー。」
「だから。あの手は、最初はどこそこに来てくださいっていう風になるんだって。
 そうだよね?H原さん。」
 H原さんが何か言うより早く他のみんなが口々に言ってる中、やっと本人が話しだした。
「あー、だからー。はい。そういうことはなかったですねぇ。」
「じゃぁどうなるの?」
「はいー。」
「…!?」
 変に疲れる、その微妙な間ときたら。
「ですからぁ、糸ぉ…、糸を見せられるんですぅ。」
「いとぉ!?
 いとって、あの糸?裁縫に使う!?」
「あー、裁縫の糸ぉ?あー、それよりは太い糸だったですかねぇ。
 そぉー、タコ糸みたいな感じかなぁ。」
「タコ糸。…!?」
「ですからー。
 手の甲をー、うーん、こんな風にぃ。あたしに、向けてぇ。」
 H原さんは手を横にすると、人差し指から小指をピンと伸ばし、親指だけ隠すようにした手の甲をみんなに見せた。

「手をぉ、こんな風にー、わたしにぃ向けてぇ。
 好きな糸を選んでください…、って言うんですよぉ。
 見るとー、その手…。あー、だから、あたしからは手の甲ですよねぇ。
 見えてるのはー。
 手の甲の上から、糸が3本…、そうー、3センチくらいかなぁ。
 親指と人差し指で挟んでるんだと思うんですけどぉ。
 あー、だからー、そぉ、あたしから見るとー、
 横にした手の甲の人差し指の上からー、
 タコ糸くらいの糸がぁ、3本見えるんですよぉ。」
「……!?」
 みんな、H原さんの説明する手からタコ糸が出ている情景を、必死で思い浮かべていたのだろう。
 しばし、その場は沈黙に包まれた。

「あ、それって、あれ!昔、駄菓子屋にあったクジの飴!
 そうよね?そんな感じよね?」
 誰かがそう言うと、H原さんはそっちを見てパッと目を輝かせた。
「そうー。そうなんですぅ。
 クジなんだと思うんですよー、結局ぅ。」
「え?どういうこと!?」
「向こうは、こう言うんですー。
 あなたが断ち切りたいことを思い浮かべながら、
 糸を一本選んで引っ張ってくださいってぇ。」
「えぇー、何なのぉそれー。
 やっぱり、何かちょっと気味わるいぃー。」
「しかし、H原さん。そんな話、よく聞く気になったねー。
 ほら。オウムのこともあったじゃない。
 だからアレ、俺なんか、ちょっと怖かったんだけどな。」
「えー、そうですかー。
 でもぉ、何かあっても、大きな声出せばぁ、誰か助けてくれますよね。普通ぅ。」

 なんというか。その時私は、正直、H原さんって、こんな話し方をする子だったんだっていう印象の方が強かったくらいだった。
 ただ、その反面、この話ってどう続くんだ?という興味もあったのも事実で。だから、話を進めさせようとしたのだ。
「えー、でー、あ、う、うん。ゴホっゴホっ。ゴメン。ちょっとむせた。
 それで?結局、それからどうなったの?」
 思わず口から出た言葉は、まるでH原さんの話し方がうつったみたいで。咳払いしてごまかしたつもりだったのだが、視界の端ではI坂さんが手で口を押えて噴き出していた。

「あー、ですからー、わたしも友だちの話を聞いてなかったらー、
 たぶん、怖くて話は聞かなかったと思うんですぅ。
 友だちが言うにはー、そんな風に糸を選ばさせられてぇ。
 その糸を引いたらー、
 その糸、たちまちプッツリ切れちゃったらしいんですよぉ。
 ていうかー、それってー。
 あたしはー、最初から短い糸だったんじゃないかって思ったんですけどねぇ。」
「あー、なるほど。」
「糸を引っ張っぱれって言われたら、普通、長い糸が出てくると思うじゃないですかぁ。
 だからー、そうじゃないからー、驚いちゃうんだと思うんですぅ。
 ところが。」
「!?」
 いや。ずっと語尾を伸ばす話し方をするくせして、ふいに言葉を止めるもんだから、聞いてる方は変に話に引き込まれてしまうのだ。
 変な話、私はそのH原さんを営業として鍛えてみようかと、一瞬思ったくらいだった。

「え?で…。」
 ところが、その「ところが」の後の間が長い。いや、ダジャレじゃない。
「フフッ。ところが、どうしちゃったの?」
「あー。ですからぁ。
 そしたらぁ、向こうはおめでとうございますって。
 それだけだったってぇ。」
「えぇ!?ど、どういうこと?」
「だからぁ、彼女ぉ、その後。腐れ縁みたくなってた彼氏とー、
 急にスッパリ別れちゃったっていうんですよぉ。
 それを聞いてたから…。」
「え?え?え?
 じゃぁ何、H原さんも別れたかった彼氏がいたってこと?
 そういうこと?え、うん!?」
「あー、だからぁ。そういうことじゃないですってぇ。
 あれは、あくまでー、悩みや悪縁を断ち切りたくないですか?ですからぁ。」
「じゃぁ何か悩みがあったってこと?」
「だからぁ。それはもぉいいじゃない。
 そこからは、H原さんのプライベートな話よ。」
「そうだよ。I坂さんの言う通りだよ。
 お前だって、悩み、一つくらいはあるだろ。」
 そう言って、この話は終わりにしたつもり…、というか、正直終わらせたかったのだ。

「それでですねぇ。」
「へっ、何?続きがあるの?」
 いや。その若い社員は、思わず私の顔をさっとのぞき見したくらいだった。
「あー、ですからぁ。
 わたしが選んだ糸ー、切れなかったんですぅ。」
「はい?ど、どういうこと?」
「引っ張ってもー、引っ張ってもー、糸がどんどん出てきてぇ。」
「えぇーと。だから、それはどういうことになるんだ?
 つまりー、悩みが断ち切れないってこと?あれ、違う?うん!?」
「そぉ。そぉなんですよぉ。あたしも、そう思っちゃったんですぅ。
 だからー、ちょっと慌てちゃってぇ。
 聞いたんですよぉ。断ち切れないんですかぁ?ってー。」
「そしたら?」
「そしたらー、その人ぉ。やっぱり、おめでとうございますってぇ。」
「なんなのよ、それ?」
「何でもぉ。それはー、断ち切っちゃいけないことなんだってぇ。
 なぜならー、今は断ち切りたいと思ってたとしてもー、
 実はー、それは未来の良いことにつながってるからだってぇ。」
「何なのー、それぇ?
 モノは言いようというか、ああ言えば何とかっていうか…。」
 繰り返すようだが、それはオウムの一連の事件の何年か後だったのだ。

「ていうか、H原さん。その後どうしたの?」
「あー、はい。だからぁ、それで終わりですぅ。」
「は、はぁ?何それ…!?」
「その人が言うにはー、いいことにつながってるんだから、大丈夫です。
 頑張ってくださいって。それで、さよならーですぅ。」
 やっと話を止めたH原さんだったが、でも、そうなっちゃうと、だからそれってどういうことなんだ?と思ってしまったのも事実だった。
 というか、これは課のノミュニケーション――I坂さんは死語と笑うが――の場なわけで。
 まぁつまり、今までよくわからなかったH原さんを知るいい機会なのかも?と思ったのだ。

「H原さんさ。」
「あー、はい。」
「H原さんは、そう聞いてどう思ったの?」
「あー、はい。
 だからー、あたしー、さっきクジって言ったじゃないですかぁ。」
「くじ?あぁ。」
「だからー、当たりを引いちゃったんじゃないかってぇ。」
「当たり?当たりって…。
 あぁ。じゃぁ何かいいことあったんだ。」
「あー、はい。あー、いえ…。」
 一瞬、頭を抱えたくなった。
「だからー、違うんですよぉ。きっと…。」
「!?」
「当たりっていうのはー、あたしにとって当たりじゃなくてぇ。
 きっとー、向こうにとっての当たりだったんじゃないかってぇ。」
「向こうにとっての当たり?
 え、どういうこと?」
「あー、だからー、そんなのわかんないですってぇ。
 ただ、たぶんそういうことなんじゃないかって思っただけですぅ。」
「うーん。だからー。うーん。
 だから、そのー、H原さんは何でそう思ったの?」
 視界の端で、またI坂さんが笑っていた。
 ったく…。

「あー、はい。
 だからー、それからなんですけど、あたしぃ、
 気がつくと糸が出てるってことぉ、よくあるんですよぉ。」
「糸が出てるぅ!?えー、どういうこと?」
 いやまったく…。
 チラリと目をやれば、I坂さんは天井を見て澄ましているのだが、なんとも話しにくいこと、この上ない。
 ただ、H原さんのその話は、さすがにみんなも全然わからなかったのだろう。
「えー、H原さんさ。糸が出てるってー、なに?どーいうこと?」
 普段からH原さんとよく話してる若い男の社員だった。H原さんもそれはわかっているのだろう。そちらに顔をつきだすようにして、楽しそうに話しだした。
「あぁだからねぇ。例えばぁ朝起きたとするじゃないですかぁ。
 なんとなく手を見ると、指の先から糸が出てるんですよぉ。
 だからぁ、指の先でそれをつまんで、引っ張るとぉ、それが、すーって抜けるんですぅ。
 あー、でも、そんなに長くないんですよぉ。
 そうですねー、大体10センチとかー、20センチとかぁ。そのくらいの糸…。」
「……。」
「あとー、朝だからー、顔を洗いますよねぇ。
 顔を洗って鏡を見るとー、耳のとこからまた糸が出ててぇ。
 だから、わたしは鏡を見ながらそれをつまんで。
 スーッと抜く――。」
「ちょっ、ストップ!」
 H原さんの話を遮ったそれは、まるで悲鳴だった。
「ゴメン。H原さん。お願いだから、もぉ止めて。その話。
 わたし、ダメ。もぉそれ以上聞けない…。」
 見れば、その女性社員は首をすくめて。両手で自分の腕を抱きかかえるようにして、その腕をゆっくりさすっていた。
 そう。それは、私だって、何だか寒気をもよおす話だった。
 ただ、それは聞いていて、あれ?と思ったのも事実だった。そして、それはみんなも同じだったのだろう。

「それってさ、都市伝説であったよね。
 ピアスの穴を開けたら、そこから糸が出てたんで。
 引っ張ったら急に目が見えなくなっちゃった、とかなんとか…。」
「そうそう。わたしもそれ、思った。」
「あぁ。糸が目の神経かなんかだったってヤツでしたっけ?」
「そうそう。あったねー、そんな話。ハハハ。」
 そんな騒々しくも、どこかほっとする会話の中。
「えー、なんですかー、都市伝説ってぇ。」
「……。」
「……。」
 なぜか、思わず口をつぐんでしまったみんな。いや、私も何か言おうとしたのだが、どういうわけか言葉が出ない。

「え?H…、原さん。と、都市伝説って、知らないの?」
「あー。都市伝説ってゆうのは知ってますよぉ。
 いくらなんだってー、そのくらいあたしでも知ってますよぉ。あはは。」
「あー、あー。うん、うん。そりゃそうだよねー。ハハハー。」
「だ、だから、お前、そんなの当たり前だろ。
 いくらH原さんだって、そのくらい知ってるよ。ねぇ?ハハハー。」
「あー、はい。
 だからー、そのぉ、ピアスの穴開けたらっていうのぉ。
 それはー、何なんですかぁ?
 だって、あたしー、ピアスの穴なんて開けてないですよぉ。」
「え?あぁ、あぁ。ピアスの穴ね。うん。そう、だからー。」
「あー、だからさ。都市伝説はわかるんだよね?H原さんは?」
「もちろんですよぉ。そんな、バカにしないでくださいよぉ。ふふふ。」
「あー、じゃぁ話早い。
 昔からある都市伝説でさ。そういうのがあるわけよ。
 鏡を見たら、ピアス穴から糸がちょろっと出てて。
 なんだろうと引っ張ったら、急に目が見えなくなっちゃったって。
 つまり、その糸って、目の神経だったって、そういう話。
 そうだよな?それでいいんだよな?」
「あー、じゃぁH原さん。この話は知ってる?
 学校のトイレで、はーなこさん、遊ぼって言うと。
 中から花子さんが出てきて、トイレに引きずり込まれちゃう――。」
「バカ。それは、都市伝説じゃないだろ。学校の怪談だろ!」
「ふふふふ。トイレの花子さんも知ってますよぉ。
 小学校の時ぃ、流行りましたもん。」
「あー、そうなんだ。へー。」
「あー、だから。違うんですってぇ。」
「違う?え…!?」
「あたしはピアスの穴ぁ、開けてないですしぃ。
 それにー、ピアスの穴っていったらー、フツー、耳たぶですよねぇ。
 だからぁそれってー、耳の穴だったんですよぉ。」
「え?耳の穴!?」
「あー、だからー、糸が出てたんですぅ。
 顔を洗ってー、鏡を見たらぁ。耳の穴から糸が出てたんですよぉ。
 だからー、あたしー、あー、まただーって思ってぇ。
 それをつまんで引っ張ったら、すーって。
 糸がぁ、20センチくらい――。」
「だ、だから…。
 もぉやめてって言ってるでしょ!」
 突然発せられたその声の大きさに、いくらなんでもこれはヤバイと周りを見回した時はもう遅かった。
 その声の異常な大きさは、そこにいた私たちだけでなく、店の中全体が一瞬シーンと静まり返ってしまったほどだった。
「す、すみません。わたし、ちょっとトイレ…。」
 そう言って、立ち上がった女性社員は、後は駆けるように。さらに、それにつられたかのように、2、3人も立ち上がって駆けて行った。

 さすがに、これはお開きにしないとマズイと思ったのだ。
 店の中は喧騒が戻っていたが、ここにいるみんなは誰も何も言わず、落ち着かない表情でお互いの顔に目を走らせているばかり。
「今日は、これでお開きにしよう。いいよな!」
 そう言った視界の端では、I坂さんもうなずいていた。
 他のみんなの顔も次第に落ち着きいてきて。最初は、隣りの人と目を合わせていただけだったが、やがていつものように話し出していた。
 そんな中、一人みんなの会話に加わってないH坂さんの様子はちょっと気になったが。
 でもまぁ今日のところはとりあえず…、なのだろう。
 今日は今日。明日は明日の風が吹く。
 明日も明後日も、その先も。いろいろあったとしても、このメンバーで仕事をしてくしかないのだ。私もみんなも、そしてH原さんも。
 そう。その時はそう思ったのだ。

 夕方、お客のとこから帰ってきた私に、「ちょっといいですか?」とI坂さんが耳打ちしてきたのは、あの飲み会から一週間経った頃だった。
 その表情の雲行きから、「会議室行くか?」と言うと。I坂さんは、さっと目を反らせて「ええ」とひと言。そのまま歩き出した。
「何があったの?」
 ドアに鍵をかけているその後姿に、待ちきれずにそう言うと。
 I坂さんは黙ったままこっちに歩いてきて、やっぱり何も言わずに私の隣りに座った。
 一瞬、私をじっと見ていたI坂さんだったが。やがて、一瞬ドアの方を見てから、声をひそめるように話しだした。

「何かあったの?って言ったってことは、課長は気づいてないんですか?」
「気づいてないって、何を?」
「だから、H原さんのこと…。」
「H原さんのこと?え…。」
 H原さんといえば、そう。一週間前の飲み会だった。
 でも、気づいてないって、どういうことなんだろう…
「あの時、H原さんが言ってた話は、まさか憶えてますよね?」
「あぁ。あれだろう?駅前とかにいる宗教の勧誘の話…。」
「違いますよ。それじゃなくて、H原さんが言ってた糸の話…。」
「あぁあぁ、あの話か。
 うん。こう言っちゃなんだけど、ちょっと気持ち悪い話だった――。」
「だから、彼女。あれからずっと、その糸を抜いてるんですよ…。」
「えぇ?どういうこと?」
「課長、ホント気づいてないんですか?」
「気づいてないって…。えぇっ?それは、H原さんが糸を抜いてるってこと!?
 えぇっ、I坂さん、いったいなんの話をしてるの?」
 その時、私はI坂さんが何を言ってるのか全然わからなかった。
 あの飲み会は、確か金曜日だったか?うん、違う?
 金曜日にしても、そうじゃないにしても、H原さんが会社を休んだ記憶はなかった。もちろん、あの時悲鳴のような声を出した女性社員も。
 そう。今朝だって、どちらも挨拶を交わした…。

「いえ。本当のこと言うと、実はわたしも全然気づかなかったんです。
 でも、昨日、G橋さんから話を聞いて…。
 G橋さん、わかりますよね?」
「もちろん。あの時、彼女が話をやめてって言ったんだよな。」
「G橋さんが言うには。
 あれ以来、ふと見ると、H原さんが糸を抜いてるって。
 それも、手だったり、胸だったり、顔だったり。
 体中から糸を抜いてるようだって言うんですよ。
 いや。わたしだって、なに言ってるんだろ?って、最初、笑っちゃいましたよ。
 でも、G橋さん、真剣なんですよ。
 本当です。本当なんです。信じられないかもしれませんけど、本当なんですって。
 あんまり真剣に言うもんだから、
 わたし、今日、H原さんのこと、時々注意して見てたんですよ。
 そしたら…。」
「え。つまり、H原さんが糸を抜いてたってこと?体から!?
 だから、I坂さんまでそんなこと――。」
「もちろん!もちろん、彼女が本当に体から糸を抜いてるかなんて、知りませんよ。
 だって、糸なんて見えませんもん。それは、G橋さんも同じです。
 でもね。見えなくても、H原さんのその動作を見てると、
 どうしても、そんな風に見えちゃうんですよ。
 H原さんがそうしてる様子見てると、思わず体中がゾワッて。
 ホント、怖気立ってきちゃうんですよ…。」
「……。」
 I坂さんの、今にも泣き出しそうなその顔に、私は一瞬何の言葉も出てこない。
「あれは、なんていうんですかねー。
 H原さんを見てると。時々、彼女、仕事してた手がふっと止まって。
 自分の体のその部分を、ちょっとの間、じーっと見つめてたかと思うと、
 手で、まるで体のそこから糸の端が出てるのをつまむような動作をして。
 その後、すーって…。
 まるで、本当に体から糸を抜くように、手を宙に持ってくんですよ…。」
「っ…。」
「で、ですよ。その瞬間、その瞬間のH原さんの表情がまた…。
 糸を抜くまでは、キッと、目を吊り上げてソレ…、
 あ、だからそこにあるだろうソレ、つまり糸を…、ですか?を見つめてるくせして。
 抜いてる時は、何とも言えない気持ちよさそうな顔に変わるんですよ。
 しかも、その後…、だから、彼女にはその糸が見えてるってことなんですしょうね。
 つまんだ指先を見て、一瞬、ニッと笑うんですよ。
 G橋さんは、それが気持ち悪くて気持ち悪くて。
 もぉ気が狂いそうですって言ってましたけど、わたしもそれ、わかります。
 あれは、まるでホラー映画ですよ。
 いったい、何なんですか?あの子って…。」


 それから、2週間もなかった。
 H原さんのその動作は、みんなも知っていたのだろう。
 いや。私もI坂さんに言われて実際に見たが、確かにそれは彼女が言うようにホラー映画さながらで。大の男の私ですら、ゾッとする光景だった。
 仮にも、上司である私がそんなことを言ってはまずいとは思うのだが…。

 結局、女性社員たちが、あからさまにH原さんを避けるようになったことで、私とI坂さんとでH原さんと話をしたのが裏目に出てしまったのだろう。
 H原さんは、次の日から会社に来なくなった。
 電話をかけても出ないし。アパートに行っても、いるのかいないのか、ドアが開くことはなくて…。
 あとで支店長に聞いたところでは、彼女とは結局連絡がつかなくて。近県の親御さんの方に連絡をしたら、「辞めさせてください」の一点張りだったそうだ。

 そんな、気味が悪くも、後味の悪い出来事だったが。
 今になって思い返してみると非常に違和感を覚えるのは、あの飲み会の時、H原さんが言ってた、その新興宗教の連中から引いた糸が「当たり」という話だ。
「当たりっていうのはー、あたしにとって当たりじゃなくてぇ。
 きっとー、向こうにとっての当たりだったんじゃないかってぇ。」
 つまり。H原さんがああいう風にいなくなってしまうことが「当たり」なんだとしたら、それは連中にとってどういう意味があるのだろう?
 


                    ―― 『姉弟掛け合い怪談:その10』〈つづく〉

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   ちょっと剣呑で、ゴメン(^^;)



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