2017
06.17

画に敵う

Category: お悩みカフェ

 先週は怪談ライブに行ってきまして。
 うん。まぁなかなかよかったんです(笑)

 思ったのは、心霊写真&画像コーナーになった途端のお客の食いつき度合。
 いや。そう言ってる私も食いついてたんですけどね(笑)
 ていうか、思わず食いついちゃっただけに、結局、画にお話は敵わないってことなのかなーって思っちゃったと。


 とはいえ、私なんかだと、最近はとにかく本が読みたくって。
 TVは録画したのが余り余ってって仕方なく見るんですけど、ハードディスクに余裕が出来ると、即、本に移るんですね。
 だから、画じゃない本(文章)の魅力って、絶対あるんだと思うんです。
 
 ただ、それだけの魅力がある怪談本というのは、まずないですね。
 あるとしたら、岡本綺堂の怪談本とか、あとは宮部みゆき等のちゃんとしたお話になってる怪談本です。

 つまり、いわゆる今の竹書房に代表される「実話怪談」フォーマットの怪談本に物足りなさを感じてしまうのはそこなんだなーと。
 そんなことを、つらつら思って見ていた、日曜の怪談ライブでした。

 うーん。
 画に敵うお話を書いてみたいもんですねー。
 いや。別にそれは怪談じゃなくてもいいんですけどね(笑)



 


 最近は、知り合いの怪談作家の新刊が出たんで、「読書メーター」をちょくちょくのぞいてまして。
 ま、その本自体は、そこそこいい評価を得ているみたいで、それはまぁよかったんです(笑)

 気になったのは、いわゆる「実話怪談本」を読んでる人って、結局その類の本しか読んでない人たちなんだなーって。
 逆に岡本綺堂の怪談本と宮部みゆきの怪談本を読んでる人が他にどんな本を読んでいるか見ると、いわゆる「実話怪談本」はほとんど出てこないんですよね。

 そういう意味じゃ「実話怪談本」なんて、極々一部のさらに一部の人が読むだけのもんなんだなーって。
 …って、すでにわかりきったことではあるんです(笑)
 わかりきったことではあるんですけど、「読書メーター」で実際に見てみるとそれが実感できたと。

 ていうか。
 ま、これは怪談本に限らず小説全般に言えるんですけど、ネットのレビューで「作家は書きすぎずに、読者が想像する余地を残してほしい」みたいなこと書いてる方ってよくいるじゃないですか。
 それを見るたんび思うんですけど、そういう感想を書いてる方って、本当に想像してる(想像したい)のかなーって。

 要は、やっぱりよく見るレビューである「もっと短くできる」のように、たんに長い文章(お話)を読むのがイヤなだけなんじゃないのかなーって気がしてしょうがないんですよね。
 だから、本を読み終わると「読破」って書きたくなるのかなーって(笑)

 いや。本(小説)なんて、たんなる娯楽ですから。
 最近の妙に高尚な趣味のように語っちゃう傾向っていうのはキモチワルイわけで、所詮はその人が面白いか面白くないかだと思うんです。
 だから、読破したい人は読破すればいいし。つまんなければ即、読むのをやめればいい。そんな程度のもんですよね(笑)

 てことで、そう考えるなら、別に「作家は書きすぎずに、読者が想像する余地を残してほしい」ってレビュー書いても全然OKってことになるわけですけどね(笑)
 ていうか、プロの作家とネットでつまんねーお話書いてる素人の違いっていうのは、その手のレビューをいちいち気にするかしないかなのかってことなんだなーって、今気づいたと(爆)




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2017
01.15

お悩みカフェ ~ 第9回:サイコパスになりたーいっ!!

Category: お悩みカフェ

 実感したことはないですけど、思うに、もしかしたら私は器用な方なのかもしれない…、と(笑)

 というのは、子供の頃からずっと思い出して見てみると、やりたいと思ったことがすんなり出来ちゃったり、いろいろ賞をもらったり。球技は苦手でしたけど、足を使うスポーツだったら得意でしたから、まぁクラスで肩身の狭い想いをしたことはそんなにありませんでした。

 そんな私が挫折…、と言っちゃうとちょっとオーバーなんで(笑)
 ていうか、そういうありふれた記号を安易に使っちゃうのは、怪談とはいえ「お話」のブログをやってる人としてダサいと思うんで。
 ま、そう、「うん?」っとアセることになるのは、中学に入ってすぐ、たぶん5月くらいの体育の時間でした。
 前の体育の授業で先生が「次回は高跳びだ」って言ってたんで。
 それなら得意だ!って。いや、高跳び幅跳びは小学校の頃はクラスで常に一番か二番だったんで(笑)、その日は、秘かに張り切りまくりだったんです。
 ところが、中学校ともなると自由に跳ばさせてくれないわけですよ。
 背面跳びか、ベリーロールの練習をさせられるわけです。
 いやもぉあんな変な恰好、普通に跳んだら楽にクリア出来る高さだって跳べるわけありません(爆)

 それは、絵も同じでしたね。
 クラスの上手いヤツに、明らかにもぉ全然敵わないわけですよ。
 えー。アイツ、小学校の頃あんなに上手かったっけー!?なんて(笑)
 いやはや、もぉその他得意だったことも全て全然で。
 それこそ、小学校卒業から中学入学のあの2週間に、世の中にいったい何が起きたたんだ?ってくらいの世界でした(爆)

 ま、そんなわけで、以後は不良まっしぐら!
 なぁ~んてことはなく。
 ま、特にねじまがることなくスクスク成長できた(か、どうかは知りませんが)のは、友だちとおバカやることに救いを見出したからだったんでしょう(笑)
 というよりは、いい友だちに恵まれたんだと思います

 ま、そんなこともあって、スポーツは苦手っていう意識が強かった私ですけど、そのうち山とかスキーとかに目覚めちゃったんで。
 ま、そっちを楽しくやれれば、あとはどうでもいいよね?みたいな(笑)

 ま、そんな人生を歩んできたわけですが(太宰治か!)、それは怪談も同じなんですね。
 というのは、私、怪談って、基本的に集めたことないんです。
 怪談は子供の頃から好きだったんで。「嫌だ」「嫌いだ」と言う人たちの迷惑顧みず、事あるごとに怪談しゃべってたら、ま、みんな、さすがに呆れちゃったんでしょう。
 「あのバカは怪談を話してやれば喜ぶ」とばかり、みんなして寄ってたかって怪談を教えてくれるようになっちゃったんです(爆)
 おかげで、某怪談サイトで賞をいただいちゃったり。
 ま、そんな風に楽しい怪談ライフ(?)をおくってきたわけですが、そんな私を大いに考えさることになるのは去年、ある怪談作家の方と知り合いになったことが大きいと思います。

 その怪談作家の方って、ま、怪談会とその他で何回か会っただけなんで。詳しい人となりはわからないんですが、最初の印象は、怪談作家にしては、ずいぶんと真面目そうな方だなーというものでした(笑)
 というのも、こんなこと言ったら怒られちゃいそうですけど、私、その人を知るまで、怪談作家というのは、ぶっちゃけ胡散臭い輩なんだろうなって思ってたんですね(爆)

 だって、怪談作家の方って「これは取材して集めたお話」とか言うわけですけど、そんないくら怪談作家だからって、見ず知らずの人に怪談(みたいな世間ではバカらしいと言われてるお話)をしゃべってくれるわけないじゃないですか。
 だから、失礼ながら、その怪談作家の方にもそう言ったんですよ。
 そしたら、その方は「それはその通りだから、知り合いやその知り合いとツテを伝って聞きまくってる」って。

 怪談って、実はパターン化されたお話が多いんですね。
 というか、怪談ファンって、実は怪談のパターンに則ったお話が好きだったりするわけですが、ま、それはともかく(笑)
 その怪談作家がおっしゃってた「知り合いやその知り合いとツテを伝って聞きまくってる」というの、あ、ホントそうなんだろうなーって素直に感じることが出来たのは、その方の人柄もさることながら、お話が怪談のパターンからはちょっとズレてるようなお話が多かったからなんです。
 というか。
 聞いたネタを、そういうありがちな怪談のパターンにあてはめない(落とし込まない)タイプの人なのかもしれないなーと。

 怪談作家という人にしては、面白いタイプの人だなーって。
 最初は、単純にそう思ってただけだったんですけど。
 それが、「あぁこの人って凄いなぁ」って思うようになったのは、去年、出版社から「百物語」を振られたと聞いてからだったように思います。

 いや。最初は、「うわっ、百物語。そりゃ災難!」って。完全に他人事だったんです(笑)
 というのは、怪談本って、基本200ページ強くらいなんです。
 つまり、百物語ってことで、そもそも100のネタを集めなければならないこと自体大変なんですが、それより大変なのはその後なんです。
 つまり、その100のネタを全て2ページくらいのお話にしなければならないというとんでもない苦労が付き纏うことになるわけです。

 そんなわけで、会うたんび、その苦労を聞いたりネタ集めを手伝ったり。また、集めたネタを聞かせてもらったりしてたわけですが、いやもぉコツコツと。ホント地道に集めてられて、なんだかんだで100話、ネタから原稿から全て終わらせたと聞いたのは、確か去年の秋の終わりごろだったですかね。

 そんな中、いつもの怪談会でその方のお話を聞いてたわけですけど、ふと、「あれ?どっか一皮むけた!?」って(笑)
 お話の質もさることながら、話されるお話にその人の「色合い」ってもんが出来上がってきたように感じたんですね。
 何気に話すネタでも、どこか重みがあるっていうんですかねー。
 いや。それは、怪談会の他の人もなんとなく感じるようで。
 怪談会を主催する方も最後の締めをその人にお願いしたりするわけですけど、またそれにちゃんと応えて時間内に話し終えるわけですよ。
 それを見ていたら、「あれ?いつの間にか、とんでないくらい引き離されちゃったぞ」って(笑)
 それこそ、中学の時に味わった、高跳びや絵と全く同じ感覚でした(泣)


 実は、去年、出版社から百物語を振られたとその方から聞いた時。
 ま、その出版社がぞんざいなトコがあるというウワサは聞いてたんで、そういうことなのかなーと思いつつ。反面、編集者がその方に「百物語」という課題を出して試してるのかな?って気もしたんです。
 そして、たぶんその方も、それは思ってたと思うんですよね。
 ただ、その方は、それより何より、とにかく次の本を出したい…、というよりは、たぶん“次の本を早く出しておかないとマズイ(読者から忘れられちゃうから)”というのがあったようなんです。
 だから、(それもあって)大変なのを承知で百物語を受けたらしいんです。
 いや。聞いたら、それこそその時はどうやって100話集めるかなんて、あても何にもなかったそうです。
 けど、ソレしか本は出せないと編集から示されたら、とにかく受けちゃって。
 あとは、ひたすらコツコツ、会う人、会う人に「怪談教えてませんか?」と聞いたんだとかで。
 それこそ、会社に来た保険の営業マンに「怪談を教えてくれたら保険に入ってもいい」って言ったくらいだって話してくれました(笑)
 そうやって、ほぼ1年がかりで100話、原稿を仕上げちゃったと。 ←スゴイ!

 その後、編集と紆余曲折はあったらしいですが、結局、本はこの春くらいに出ることが決まったとかで。 ←拍手ぅっ!
 いや、編集から百物語を振られたと聞いた時は、他人事でニヤニヤだったわけですが、今度は他人事ながらホントうれしかったですね。


 で、実は、そのことを聞いた後。
 それとは別に、怪談に対しての考え方やその手の現象についてのスタンス等々話してたんですけど、ま、その辺の詳しい内容は長くなるので省きますけど、ふと思ったのは「あ、この人って、いわゆるサイコパス脳の人なのかもしれないなー」って(笑)

 そんなこというと、サイコパス=異常犯罪者というイメージが強いんで。「え?ヤバイ人なの!?」なんて思うかもしれませんが、実は、サイコパスと犯罪者っていうのは別個のモノなんだそうです。
 本来、サイコパスというのは自分の持つ目的を果たすためにどんなことでもする気質のことなんだとか。
 つまり、犯罪、つまり社会のルールを外してしまう事をしてしまったら、社会から制裁を受けることになるわけです。
 そうなってしまったら自分の目的は果たせなくなってしまいます。
 つまり、そもそも、そんな愚かなことをしないのがサイコパスの人の性質らしいんです。
 一方、サイコパスの人の中で、犯罪へのブレーキが外れた気質を持った人が、いわゆる反社会的なサイコパスということなんだそうです。


 と、そんなこんなで話は最初に戻るわけです。
 つまり、(実感したことは“全然ない”んですけど)私は、どうも器用な方らしいんですね。
 ただ、それは本当に器用なのではなく、たんに小器用なんだろうなって思うんです。
 シャクに障ることに(爆)

 小器用だからこそ、小学校の頃は絵や高跳び幅跳び50m走は結構こなせるけど、でも中学になると途端に通用しなくなってしまう。
 ましてや、毎日コツコツそれに打ち込んでるヤツからは、どんどん引き離されていってしまう。
 それは、怪談なんてもんですら同じで。
 目的を持ってコツコツ集めている人には、いつしか質も量も敵わなくなってしまう。


 ……。
 うーん。
 あー、サイコパスになりたいっ!(爆) 

 いや…
 なる!、ですよね?
 サイコパスなら(笑)





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2016
09.25

お悩みカフェ ~ 第八回:BGMに“お悩み”する

Category: お悩みカフェ
 こう見えて(ブログだから見えないですけど)、意外とお悩みする方だたったりします(爆)
 ただ、お悩みするわりには、いよいよとなったら、結局、「えい!やー!」みたいな。
 お悩みと体が連動しないことが多いような気がします(笑)

 そんな私ですけど、結構深刻に悩むのが、ヘラヘラお話を書いてる時のBGM。
 あれは、ホント、真剣にお悩みしますねー(笑)

 というのも、BGMって私はスっゴク大事なんです。
 だって、まずBGMを決めないことには作業に入れませんもん。
 とか言って。
 実際書いてる時って、BGM、ほとんど耳に入ってなかったりするんですけどね(爆)

 なのに。
 CDが終わると、ちゃんと気がつくのは何故なんだろう? ←あれは不思議!
 しょうがないから、もうプレイボタンを押すか、他のヤツをかけにプレーヤーのとこに行くわけですね。
 つまり、それがめんどくさい!(笑)
 過去にリモコンの失踪事件が発生した

 ま、リピートにしちゃぇばいいんでしょうけどねー。 
 でも、リピートって。
 ふと気づいた時、相も変わらず延々それを鳴らしてる機械に、異様にムカついたりしません?(爆)

 ま、それこそ現在なら、ネットワークオーディオで聴けばいいじゃんってことなんでしょうけどねー。
 ま、古いのかなぁ…。
 MP3の音って、なぁ~んか好きじゃないんだよなぁ…
 気のせいって言う人もいますけど。でも、そう感じちゃうんだもん。しょうがないじゃん! ←怒ってどーする(笑)

 って。
 まぁハード面のお悩みはそれくらいにして(笑)
 今回“お悩み”したいのは、ソフト面です。
 つまり、お悩みの根本は、最近いいBGMがない!
 そこにあると。

 BGMっていうのは。
 BGMなだけに、音がジャマになっちゃうのはダメなんです。
 わかりやすい例をあげるなら、“歌詞がわかっちゃう音楽”、つまり日本語で歌ってる音楽ですね。
 あれは、無意識に歌詞を追っちゃうからBGMにならないんです。
 あとは、やたら派手派手なロックや、やたら陽気だったりノリがいいのもダメですねー。
 最近流行りのサビがアゲアゲなのもダメ!

 ま、これは個人の好みの問題になるんでしょうけどね。
 私としては、基本的にアップテンポよりはミディアムテンポ。
 明るい感じよりは、まぁどっちかといえば暗ぁ~くって。
 聴いていいて、気持ちがズンズン沈み込んでいくようなのがいいんだけどなぁ…(爆)


 ちなみに、イージリスニングは論外です(笑)
 あと、クラシックも。
 クラシックはね、音の強弱が激しすぎちゃって、全然BGMになんないんですよ。
 「play」を押したのに全然音が聴こえてこないと思っていたら、いきなり♪ジャーン!じゃ、思わず「ギャー!」です(笑)

 まぁそんなわけで。
 個人的にBGMにベスト!と思っているのは、「ブルース」。
 あっ、ブルースで、エリック・クラプトンとか言わないでくださいよ。
 エリック・クラプトンはね、あれは「ロック」。
 って、いきなり上から目線(爆)

 ブルースは、先に上げた“歌詞がわからない”や、“音がジャマにならない”という良い点があるわけですけど、それより何より“テンポがいい”んですね。
 早くもなく、かといって遅くもないそのテンポが、キーボードパコパコするのに(私は)ピッタリなんです。
 あとは、リズム進行といのかメロディというのか、反復が多いのもBGMとして気に入っています。

 そうそう。
 反復というのは、人をトランス状態に導くために宗教でよく使われたりするわけですけど、宗教音楽っていうのも結構いいんですよね。
 ヘラヘラ書く時には。

 ただ、宗教音楽はねー、大きな欠点があるんです。
 というのも宗教音楽っていうのは、今の日本人の平均的ライフスタイルからすると、あまりにかけ離れすぎちゃってるんでしょうね。
 つまり、普通の人が聞いたら「あのウチの人、変な音楽聞いてる」ってなっちゃいがちであるがゆえに、大きな音で聴くのがミョーっにコワいとこがあるわけです(笑)

 つまり、お経ですよ。
 お経って、私、聴くのが結構好きだったりするんですけど、でもお経をBGMとして聴いていて隣りの人がそれを聞いちゃった日にゃぁ、何言われるかわからないですよね。
 それこそ、「ウルサイ」で済めば、まだしもです。
 ヘタしたら「あの家、霊が出る?」だの、「あの人呪われてる?」だのって話になりかねません(笑)

 それと同じく、例のヌスラット・ファテ・アリ・ハーンとか、あとコーランのアザーンなんか聴いてるのを隣の人に聞かれちゃった日にゃぁ大変です。
 それこそ、「隣にヤバイ人が住んでます」なんて通報されかねません(爆)

 そんなわけで、宗教音楽を聴く時は、とにかくひたすら音を絞って、絞って(泣)


 …って。
 なんだかんだ言っても、ベストなBGMあるんじゃん。
 それなら、全然“お悩み”ないじゃんって、もしかしたら思ってるかもしれません。

 でもね。
 人って、どんな気にってるもんでも、なぜか飽きちゃう時ってあるでしょ?(笑)
 結局そこに戻るんだとしても浮気したい時って、往々にあるもんじゃないですか♪
 いや。生臭い話じゃなくってね。あくまでBGM、ね(笑)

 まー、そんなわけで。
 去年、村春氏の本読んでいた時に、そうだ。ジャズはどうだろう?って聴いてみたんですけど……

 いっやー。
 もぉてんでダメ!(笑)
 ジャズはねー、とにっかくテンポが速いのもさりながら…
 ジャズ特有の、あの♪ズンっズンっズンっズンっ…、♪チンチンチンチン……が醸し出す密閉感に「うぎゃーっ!」(爆)


 って、まぁそんなどーでもいいことをズラズラ書いたのは、先週やってた『タイプライターズ』を見たからです。
 http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2016/160914-i243.html
 *フジテレビ:タイプライターズ

 ゲストは、中村文則(一冊だけ読んだことある)だったんですけど。
 その中村氏、なんでも缶詰になりたい時、ホテルを使い分けてるんだとかで。
 例えば、静かさが欲しい時は、番組でも出ていた銀座のホテル。
 ガヤガヤが欲しい時は、池袋のホテルという風に。

 その中村氏、何でも最近新刊を出したとかで、それは静けさが欲しかったから、その銀座のホテルで書いたらしいんですけどー。
 何でも、耳栓して完全に無音の状態にして書いたんですって。

 いや、それを聞いた時、思わず「あぁー、それ、オレ、絶対ダメ…」ってTVの前でつぶやいちゃったと(笑)

 外部の音が全く聞こえない状況は、絶対イヤですね。
 不安で。
 落ちつかない。
 震災があってからは、特にダメです。


 ただ、その中村氏は、無音状態の中でとにかく集中して、自分の意識の奥の奥までいく的なことを言っていて…。

 まぁどうなんでしょうねー。
 そもそも、それが具体的にどういう状態なのかわからないわけですけけど、ていうか、「仕事」であるがゆえに、そこまでしないとダメなのかもしれないなーって。
 ぶっちゃけ、それって、ナルシシズム・マゾ?って気もしないでもないが…(笑) 


 とはいえ、ま、好きな音楽をBGMにキーボードパコパコしてるのって、とっても楽しいんでー(笑)
 その辺のお悩みは、ま、どーでもいいっかなぁー(爆)





  ていうか。 
  最近は、天気の方がよっぽど悩みの種です(泣) 


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2016
09.11

ネット小説に思う

Category: お悩みカフェ

 ネット小説って…、いやー、うん。いいと思うんです(笑)
 自分の内面を見つめるっていう意味でもいいんだろうし、空想の世界や自分の理想の世界への(ポジティブな)逃避っていう意味でもいいんだと思うんです。

 “書く”っていうのは――ま、今はパソコンだから実際には書かないけどね(笑)――自らの思考を整え、再確認して、新たな方向性を見出す作業なわけで、そういう意味でもいいことだって思います(笑)

 なによりも。
 ネット小説――ネットで小説(お話)を書く――の良さっていうのは、“他人にそれを見せる/見てもらう(さらに批評してもらえる)”ってところにあると思うんですよね。
 “他人に見せる/見てもらう”わけですから、それなりに色々考えたり調べたりして書かなきゃならないわけで。

 ま、責任が生ずる、とか言っちゃうと大げさになっちゃいますけど。
 でも、間違いがあったら恥ずかしいから、文字や事柄を調べたり。
 あとは、浅知恵や付け焼き刃な知識と思われないよう熟慮したりといった、恥かしい指摘をされないよう、それを整える作業をすることが糧になるんだと思います。

 というか、他人に読んでもらって、「よかった」って言ってくれたら、それは素直にうれしいですからね。
 さらには、幸運にも批評のコメントをもらえたなら、それは批判であっても(というか批判だからこそ)貴重です。
 それは、自分が書いたソレを見つめなおすいい機会になるし、何より今後のいいヒントになります。
 
 そんなネット小説ですけど、最近は“どうなんだろう?”っていうのも多いのも事実ですよね。
 てなこと言うと、、ネット小説というのは、そもそも “どうなんだろう?”だからこそネット(の中にしか存在出来ない)小説なんだろーが!とか言われちゃいそうですけどね(爆)

 いや。だからね。
 その、“どうなんだろう?”っていうのは、その「出来」じゃなくって。
 あまりに反社会的だったり、公序良俗に反していたり、要は社会の秩序を乱すようなモノが見受けられるような気がするんです。

 とか言うと、戦後に蔓延った「進歩的文化人」とか称するアホバカ連中や、他者への批判はやり放題だけど自分らが批判されるとブッキレるマスコミが、何かというと唱える「表現の自由を守れ」って話になるんでしょうけどねー(爆)

 でも、日本の戦後の今の繁栄(今、まさに私たちが恩恵を受けているそれ)を築いたのは、進歩的文化人でもマスコミでもないわけで。
 そんな、マスコミだの進歩的文化人だののお題目よりは、今の日本の繁栄や社会秩序が維持発展する方が絶対大事です。
 だって、呑気にネットでお話を書いてられるのは、日本の繁栄と社会秩序が守られているからですもん!

 何かというと「表現の自由を守れ」と騒ぐ人たちがいますけど、少なくとも私のような一般庶民が表現で窮屈な思いをしたなんてこと、一度だってありません。
 であるなら、今の繁栄と社会秩序が守られ、さらによくなる方が絶対大事です。


 って、なんだか話が違う方にいっちゃましたけど。 ←いつも(笑)
 ま、そんなことを書いたのは、某小説投稿サイトを見ていて、そんな不快極まりない小説を書いて、やにさがってるヤツをみかけたからなんですね。
 ご丁寧にも、あとがきと称して、それを書いた理由を論理的に書き出してみたりで。

 ブログ等、普通の人が書く文章が論理的に考えられてる、最近の傾向というのはいいことだと思うですよ。
 でもね。組み立てる論理の素材や考え方がおかしかったら、意味ないでしょう。
 というのも、その論理の根本は、たんなる偏狭なミーイズムにすぎないんですよ。
 狭い了見によって形作られたソレで、安直で無責任な社会批判をして。
 その社会への批判からくる不満に、自らの下半身の欲望を加えて、力の弱い者を暴力で虐げる小説を書く、その醜さといったら…。

 その内容はは、戦争の最中に往々にして起こる、武器を持った者が武器を持ってない者へなされる非道さと、全く一緒です。
 あれを書くということは、IS等過激組織が住民に対して行っているとされる、非人道的な虐待行為を支持しているのと同じです。


 まぁ確かに。
 ここ日本では表現の自由が認められてますから。
 そんな醜悪な小説でも、書くのは全く自由なんでしょう。
 というか、その類の醜悪な小説や映像は、普通に「商品」として流通していたりします。
 そう考えるなら、その人だけを批判するというのは見当違いなのかもしれません。

 でもね、でも…。
 ネットにお話(小説)を書くというのは、「無償の行為」だっていうのを忘れてはいけないと思うんです。
 ごくごく一部のプロを除けば、誰も、お金儲けとか、生活の糧を得るためにやってるわけではありません。
 「それが好き」だからやってるんですよね。
 みんな、それが好きだから、毎日忙しくて疲れてる中、それに時間を割いてるんだと思うんです。

 つまり、それは、誰にもとやかく言われることのない「無償の行為」だからこそ、そこに自分(の想う世界)を100%投影出来るわけでしょう。
 そんな自分の貴重な世界を、人の反応(閲覧数の数)を得たいという目的で、自らの内面の醜悪さや矮小さをひけらかすことに何の意味があるのか?ですよ。

 小説投稿サイトに投稿するということは、その人も物語の面白さや感動を知ってるんだと思うんです。
 少なくとも、一度は(どういう感情かはともかく)心を揺さぶられたことがあるから、そこに投稿したんじゃないでしょうか。
 そういう世界を、自らの心にある醜い部分で汚してしまって、それでいいんでしょうか?
 その醜さで他の人の露悪な好奇心を煽ることで増えた閲覧数を見て、その人は本当に満足なんでしょうか?

 そうとは、全然思えないんですよね。
 だって、その人は自らを、バーチャルな世界に醜悪な小説を書きこんだ自分と、リアルな日常を暮らす自分を絶対切り離してるはずですもん。
 つまり、自ら書いたものが醜悪なものだという認識は、きちんと持っていて。
 その醜悪なものを書いた自分は、あくまで「ウソの自分」で。
 「本当の自分」は、リアルな日常で、醜悪どころか、正しく生きていると思っている(思い込もうとしている?)わけです。
 それは、あとがきで書いた小説の醜さを、それは「社会が悪いからだ」と自己弁護しているのをみても明らかです。

 だとしたら、その小説への反応は、その人の心にある「本当の自分」への反応ではなく、「ウソの自分」への反応ということになりますよね。
 つまり、その小説について投稿サイトで得られた満足感は、あくまで「ウソの自分」が得られた満足感であって。自分が一番大事な「本当の自分」は、何の満足も得ていないということになるんじゃないでしょうか。


 ただ、まーね。
 満足とか不満とか言ったって、所詮は、中身を読んだ、しかも最後まで読んだという「数」ではないわけで。
 ネットでお話を書いている人たちにとっての本当の満足というのは、やっぱり「傑作(と思える)ものが書けた時」なんだと思うんですよ。
 つまり、それというのは、自分のリアルな日常にいる周囲の人たちにそれを見せても誇れるということですよね。
 そう考えると、ネットで小説を書くというのは、友人知人、家族や親戚に見せても恥ずかしくないものを書くんだという、矜持?心意気?何かそんなようなものを持っていることが必要で。
 そういうようなものを持ってない限り、「お話を書く」という行為で自らを満足させるることは出来ないのかもしれないなーなんて。

 全然結論になってないですけど、その小説のあまりの醜さに、そんなことを書かずにはいられなかったと。






 上記は、ネットの某小説投稿サイトをなんとなーく見ていて。
 投稿間もないのに「閲覧数」が多い小説に興味をひかれて見て思ったことなんですけどー。

 ただ、知ってる人も多いと思いますけど、あの「閲覧数」って自分でいくらでも増やせるんですよね(爆)
 しかも、全然読まなくても数だけはちゃんとカウントされると(笑)

 まー、何と言うか。
 いかにも、バンドワゴン効果が全てのインターネットの世界の評価だよなーって(笑)
 とはいえ、FC2ブログの「拍手ボタン」じゃないですけど、ああいうのに一喜一憂しちゃうとこ、人は、妙にあったりするものなんですよね(爆)

 そういう、自分への称賛の希求というのか、単純にナルシシズムでいいのか、その辺何となく曖昧なんですけど、そういう感覚が顕著になったのって、やっぱりネットが大きく作用してるんですかねー。

 ま、ネットが普及する前は、他の人が何を考えているか求めているかって、本やニュース・新聞で知るしかなかったんで、厳密にくらべられないんでしょうけどね。
 ネットもそうだけど、ケータイが普及も大きい気もするんで、もしかしたら90年代の後半からその傾向が強くなってるのかもなーって ったりもします。
 でもまぁ思い返してみると、昔も同じだったのかなぁ…。うーん。どうなんだろ?


 話は変わるようですけど、かつて怪談業界でそこそこ有名ない人がいて。
 ま、稲川淳二とか、あと有名な怪談作家ほどではないんですけど、ネットラジオの世界でかなり知られた人だったんです。
 それこそ、一時期は夜中のTVにもちょくちょく出てたりしたんですよね。

 ま、私は、その人のことを直接は知らないし、会ったこともないんですけど。
 ある関係で縁があったこともあり、その人のネットラジオは毎回楽しみにしていたんですね。

 怪談のネットラジオは、今ではいくらでもあるようですけど、当時はそんなにはなかったんです。
 そのせいもあってか、リスナーは毎回かなりの人数で。
 ネットラジオですから、聞きながらそれらの人たちが、リアルタイムで掲示板に「今の話は怖かった」的な書き込みをするわけです。
 たぶん、その数と称賛の書きこみに、いつしか感覚がおかしくなっちゃったんでしょうね。

 その人、掲示板にちょっと否的な書き込みがあると、放送中に怒るようになったんです。
 挙句の果てには、「批判的な書き込みはするな」なんて言ってみたりで。
 いくら無料で聞けるネットラジオとはいえ、批判をするなというのはおかしいでしょう。
 お話を聞けば、当然感想があるわけです。
 感想があれば、いいという人もいあれば、悪いという人もいるのが普通です。
 批判が疎ましいのはわかります。
 でも、発信する側がそれをダメと言ってしまったら、それは「私のことは全部称賛しなさい」と言ってるのと同じです。
 もちろん、その人も、さすがにそこまでは言いませんでした。
 でも、その人は、今までのリスナーの数と好意的なコメントに、もぉ自分が全く見えなくなっていたんでしょうね。

 実は、ラジオ自体は面白く聞いてたんですけど、個人的にはその人の話す怪談ってあまり好きじゃなかったんです。
 とにかく、おぞましいお話に仕立てちゃう傾向があるっていうか、何でも怪談にしちゃうところがあるというか。
 そんなこともあって。
 ある時、その人が、あまりに子供だましな怪談を話したのがキッカケで、一切そのラジオは聞かなくなっちゃったんです。

 それから2、3カ月くらい後だったですかねー。
 その人、ラジオの放送中に、スタッフから手ひどいしっぺ返しをくらうということがあって。
 詳しくは知りませんけど、スタッフとの間でも、自分が見えなくなったがゆえのトラブルがあったらしいです

 その後、何度か再起の機会はあったようなんですけどねー。
 ただ、その再起する中でも、人との付き合いが、やっぱり自分を見失ったままだったらしくて。
 結局、怪談業界の知人友人たちからも信頼も失って、表の舞台からは消えちゃったんです。
 業界の人に聞いたところでは、今は地方でやってるらしいとか


 いや。何でそんなことを書いたかというと、ネットというのは、やっぱりどこか自己への称賛にこだわっちゃう、そんな面があるのかなーって。
 なんか、そんな悪しき面があるような気がしてしょうがないんですよね。
 先にも書いた「拍手」とか、「閲覧数」とか。あと、フェイスブックだと「いいね」でしたっけ?
 あと、フェイスブックの友人の数に異様にこだわるとか…
 企業の採用担当が、応募者のフェイスブックの友人の数を見て評価してるって話を聞いた時は、さすがに呆れました
 それで給料もらえる採用担当って、楽な仕事でいいなー!(爆)

 いや、まーね。
 これも先に書きましたけど、その数が増えると妙にウレシイですしね(笑)
 たかが「数」だとはいえ、そのウレシイという感情が、日々の生活にプラスになるなら、それで全然いいんだと思うんです。

 ただ。
 こと、ネットでお話(小説)を書くとなると、それは微妙に違うと思うんです。
 なぜなら、ネットでお話(小説)を書いてる人っていうのは、本を出したいとか、小説家になりたいとか、さらにはベストセラー作家になりたいとか、そういう願望の程度は別として。その誰もが、「面白いお話を書きたい」っていうのは、絶対持ってると思うんですよ。
 その、「面白いお話を書きたい」という願望に、拍手や閲覧数の「数」は何の役にもたちませんよね。

 もちろん、何度も言うようですけど、その「数」にはなぜか嬉しさを感じてしまうのは確かです。
 その嬉しさから、次に書くお話のエネルギー(やる気)をもらうという面もあるのは間違いないでしょう。

 でも、その「数」――そこに、「面白かった」という称賛のコメントも付け加えてもいいかもしれません――がどんなに多くても、自分が書くお話のダメな部分っていうは浮かび上がってきません。
 ぶっちゃけたこと言っちゃうなら、私を含め、ネットでお話を書いてる人たちがネットでしか書けないのは、そのお話にダメな部分があるからなんじゃないでしょうか?(笑)
 そこを直して、一皮剥けないかぎり、書くお話のレベルはずっと同じなんですよね。

 もちろん、“自分の好きなお話をずっと書くことが願望なんだ”という人もいるでしょう。
 でも、繰り返しになりますけど、その人だって、「面白いお話を書きたい」、あるいは「傑作を書きたい」という願望は絶対あるはずです。
 というか、お話を書く人なら「本を出したい」という願望を持っている人がほとんどなんじゃないでしょうか?


 まぁそんなことを書くのは、今年は何人かの方からヒントになる言葉や指摘、さらにはいい刺激をもらえるという幸運に恵まれたからなんですけど…、まぁなんて言ったらいいのかなー。
 結局、同じことの繰り返しになっちゃうんでしょうけど、ネットでお話を書いてる人同士、もぉ少し気楽によくないところを指摘しあってもいいんじゃないのかなぁ…って(笑)
 というか。
 ま、それもありつつ、自分のお話づくりの糧として、意識して他人の意見に素直に耳を傾ける気持ちを持つべきなんじゃないですかねー。


って、結局、「お悩みカフェ」は、いつも通りの竜頭蛇尾だったりで、どーもスミマセン(爆)




 欲しいものは、欲しいものがわかるまで手に入らない
 だけど、わからないふりをして、他人に求めても意味ないし。手に入らないってことでは結局同じ
 でも、ネットな今の世なら、“相見互い”で、それを多少なりとも補えたり出来るんじゃないのかな♪



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2016
03.06

お悩みカフェ ~ 第六回:ファンタジーに惑う。いや、惑ってみたい…、のか?(笑)

Category: お悩みカフェ


 いや、別に変な妄想(ファンタジー)に惑ってるわけじゃぁなくってね(笑)
 惑ってるのは(惑わされてるのは)、ファンタジーな「お話」!

 ま、なんで、ファンタジーに惑ってるかというと、たぶんそれは、笑劇…、じゃなかった、“衝撃!”、なのかなーと。
 本人には“衝撃”でも、他人からみれば“笑劇”って往々にしてありますよね

 って、いちいち、にーにー、話がまどろっこしいわけですが、まぁぶっちゃけちゃえば意外と単純。
 つまりはまぁ他の方のブログの「お話(小説)」を読んで、その出来にちょっと“衝撃を受けちゃった”と。
 で、まぁその衝撃をカンタンに言っちゃうならば。
 あぁオレって、今、逆立ちしたってあそこで書けねぇなぁ…
 なんて感じでしょうか?(笑)

 いや。(笑)って、全然笑いごとじゃないんですけどね。
 でもまぁ、とりあえずつけちまぇ!みたいなー(爆)

 まぁそんなおバカなことばっか書いてますけど、でもおバカがおバカなこと四の五の言ったり書いたりしてる時って、実はそーとー悩んでたりってこと、世間では往々にしてあるもんなんですね。
 え、なに?“悩むなんて、ダサいヤツだけさ!”って? ま、それはそれ…www


 ま、そんなおバカのたわ言ばっか書いててもしょうがないわけですが、ま、思ったのは、私がファンタジーが苦手っていうのはあるんだろうなーって。
 ただ…。
 ファンタジーが苦手って、えー、でも、『誰も知らない小さな国』と『ウォーターシップダウンのうさぎたち』は、いまだに時々本棚から引っ張り出して読むけどなぁ…とも思うわけですよ。

 そのほか、ハリーポッターが流行った頃に読んだ『リトルカントリー』は無茶苦茶面白かったし。
 あ、そういえば、その頃『ダーククリスタル』のDVD買ったっけなーって。
 あ、そう。DVDって言えば、学生の頃に読んだ『指輪物語』がその頃映画になったんで、そのDVDも買ったっけ…なんて思い出して、やっと気づきました。

 あ、『ロード・オブ・ザ・リング』、買ったのに見てない!(爆)
 ていうか、タイトル、なんで『指輪物語』じゃダメなんだ!

 そう、そこなんでしょうね。
 『ロード・オブ・ザ・リング』って、なぜか見る気がしない。
 つまり、私はあの手の「ハイ・ファンタジー」というジャンルが好きじゃないんでしょう。
 思い起こせば、ブログで知り合った方に影響を受けてSF、いろいろ読んだんですけど。
 でも、一年くらい経ったら急につまんなくなっちゃったのは、“SFってファンタジーみたい”と思ったことが大きいように思います。

 考えてみれば、『スターウォーズ』もそうです。
 ま、『スターウォーズ』は、“映画が公開される前、TVでバカ騒ぎしている時が一番面白い”っていうのは大いにあるわけですがー(爆)
 それはまぁそれとして、私は、ジェダイがあまり出てこない「旧三部作」の方が全然面白かった気がするんです。
 あの「新三部作」ってぇヤツは、ジェダイ連中がとにっかく辛気臭くって。見ていて、もぉゲンナリ…(笑)

 そもそも、フォースだかなんだか知らねーけど、ライトセイバー振り回して光線(銃)をよけるなんてこと出来るわけねーじゃん。光より早く腕を動かせるとでも言うのかよ!なんて。
 まーつまり、私は、あの手の「幻術使い」みたいなのがキライなんでしょう(笑)

 そうそう、「幻術使い」といえば、『三国志』ですよ。
 自慢じゃないですけど、『三国志』って定番の吉川英治のヤツから始まって4種類か5種類読みましたけど、必ず途中で挫折するのは諸葛孔明ってヤツが大っ嫌いだからです(爆)
 え、なに?他人のせいにするな!ってwww
 アイツが出てきた途端、劉備玄徳、急に強くなっちゃって、読んでてなんだかアッホくさ~って。
 いや。実際は、そこに“まともな人”が一人いるかいないかで全然違うんでしょうけどね

 ま、諸葛孔明は「軍師」なわけですけど、つまり軍師って、金ばっかとって何の役にも立たない「コンサルタント会社」みたいだから大っ嫌いというのは大いにありつつ(笑)
 いや、いいコンサルタントもいるんですけどねぇ…
 風水だのなんだの説くもんだから(ま、それは当時だからしょうがないんでしょけど)、どうしても幻術使いか詐欺師に見えちゃうんですよ。
 つまり、今の世でコンサルタントに依頼する会社がダメになるように、蜀はそんな幻術使いに頼るから滅びちゃったんじゃないの~って(笑)


 って、なんだか話が脱線したような。
 そう、だから、これを読んでる人からすれば、「ファンタジーが好きじゃないならそれでいいんじゃない。そんなの人それぞれなんだから」って思いますよね。

 もちろん。それは、その通りなんです(爆)
 その通りなんですけど、そんなことをグダグダ書いてるのは、やっぱりブログで読んだその「お話」がすごく面白かったからなんでしょう。
 つまり、面白かったから、自分もそんなのを書いてみたい。
 でも、今の自分には絶対書けない。
 そのジレンマなのでしょう。
 なんか、オレ、最近誰かに似てきた?(笑)


 で、まぁ。
 そこまで書いておいてなんですけど、そのジレンマって、実は3週間前に解決済みだったりもするんですけどね(笑)
 ていうのは、その自分が書けないファンタジーって、そもそも何なんだろう?って考えていたら。
 そうか。一口にファンタジーったって、範囲は広いんだよなって気がついたと。
 つまり、いわゆる「ハイ・ファンタジー」は無理だけど、でも「ホラーというファンタジー」なら書けるんじゃない?って気がついたわけです。
 それに気がついたら、「あ、それって。そもそも自分が一番やりたかったことじゃん!」ってことにも気づいたと(笑)

 思い返せば、怪談でずいぶん回り道したけど、でもやっと元の所に戻ってきたんだなーって、「いやー、感謝!感謝!」なぁ~んて。2週間くらい、脳天気に喜んでいたわけですが……

 この1週間、またジレンマにおちいっちゃったのは、「あぁ~、オレって書き方に戦略がないんだなぁ…」って気づいちゃったんですね(笑)
 それに気づいたのは、もちろんその読んで面白かったor面白いブログの「お話」をいろいろ思い返していたからというのは大いにありつつ。
 それとともに、やっぱり別のお話を書いている方のブログに書いたコメントを思い返していてハッとしたんです。
 コメントではエラそうに書いてたけど、よっぽど自分の方が深く考えずにイメージが湧くままに書き散らかしてるよなーって。 ←意外と殊勝に反省するタイプwww


 ねぇ…。

 ま、読んでる方からすれば、「ねぇ…」って書かれても困ると思うんですけど、とはいえ、ねぇ…。

 もう文末に(笑)すら付ける気力もなくなっちゃいましたけど、とはいえ、ま、それもまた面白いのかな?って。

 というよりは、だからこそ面白いのかもしれませんね(笑)





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